家族と祭り
最後にお祭りに行ったのはいつだろう。思い出せないくらい昔のことで、自信を持って行ったことはあると言えるけれど、エピソードが一つも出てこなくて自分を疑ってしまう。
私の両親とパートナーとの4人で向かったのだけれど、こんな形で150kmも離れたお祭りに行くなんて10年前の自分は全く想像していないイベントで、車酔いなんかしていないのにふわふわした気分で居心地が悪かった。
我が家は家族仲が良い方では決してないと思う。両親は共働きで兄弟は三つくらい歳が離れている。そんなこともあり生活リズムがバラバラで、私が大学生になったくらいからはご飯を誰かと一緒に食べることの方が珍しかったと思う。それに加えて私は自分の時間を興味や趣味の対価として湯水のように差し出していたこともあって、部屋に篭りっきりだった。そもそも兄弟の年齢をまともに覚えていない時点で、家族へのアンテナはまともに立っていない。
両親のことが嫌いかと言われると、全くそんなことはない。愛情を注いで育ててもらったと思っているし、私が大人になって家を出た今でも気にかけてもらっている。
かといって好きかと言われると、自信を持って返事をすることはできないとも思う。もちろん今まで育ててもらったことにはとても感謝している。両親がいなかったら今の自分がいないことも十分に理解している。それでも親として、大人として、人間として尊敬はできなかった。
家のドアに督促状が貼ってある光景や、母が電話で泣きながら親戚にお金の無心をしている姿。子供の頃の体験が私の中でトラウマになっているようでお金と将来について考えると頭が真っ白になってしまって泣いてしまうことがある。
そんな私が両親との仲を保てていて、祭りに一緒に行くような関係になったのはひとえにパートナーのおかげだ。両親の好みや誕生日を把握してプレゼントを考えてくれたり、身体のことまで気にかけてくれている。そういったことの積み重ねが家族の壁を崩してくれたんだと思う。私の人生の中で最も幸運なのとは何かと聞かれたら、間違いなくパートナーと出会えて一緒に生活ができていることで、私には勿体無いくらいのいい人だと思う。
両親と一緒に出かけるというのは本当に久しぶりで最後の記憶というのが全くなかったのだけれど、振り返ってみるととても楽しかった。両親はなんでもお金を出したがったりと、すごく気を使っていた。
私が子供の時にできなかったことをきっと取り戻そうとしているんだと思った。子供の頃の私だったらそういう姿も見ていられなかったのかもしれないけれど、大人になった今ではただただありがたく感じられた。
決して完璧ではなかったかもしれないけれど、私のことを育ててくれて、大人になっても気にかけてくれている。尊敬はできないかもしれないけれど、相手からの好意にはできるだけ好意で返してあげたいと、ようやく素直にそう思えた。
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