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ローマ帝国-③帝国を繋いでいたもの

帝国が滅びた日

500年続いた帝国が滅びた日とは、どんな1日だったのだろう。

イメージしやすいのは、外敵の侵攻によって滅びる絵図だ。侵略者によって国土が蹂躙される。これまでの支配者が一掃され、新たな支配者がそこに居座る。住民はそれに従い奴隷になるか、あるいは国外に逃げるか、さもなくば殺されるか。統治機構は破壊され、法は有効性を失い、新たな秩序が築かれるまで混迷の時代に突入する。

教科書で習ったゲルマン人の大移動は、そんな光景がドミノ倒しで起きたイメージではないだろうか。しかし、史実とは少し異なるようだ。

476年、ゲルマン人の傭兵隊長オドアケルが、西ローマ皇帝ロムルスを追放。その後、自身が代わってローマ皇帝を名乗ることをしなかった。伝統的には、これが西ローマ帝国滅亡の瞬間と教えられている。

だが、このような皇帝の追放や殺害はそれ以前からも頻発していたし、すでにこの頃、西ヨーロッパ領域はローマ軍が統制できている状態になかった。一方で、オドアケルは皇帝廃嫡後もローマ帝国の統治機構はそのまま残し、領内統治のためにローマ法を厳格に適用していた。つまり、この一つの出来事がローマ帝国の滅亡を直接的に示すわけではない。

近年では、ゲルマン人の大移動による混乱の中でドラマチックに滅亡したという伝統的な見方から、移動した人々が新たな生活に順応し、ローマ世界が徐々に変質していくような解釈に重心が移っている。

領内に住む一般民衆からすれば、ローマが滅んだとされる日は、いつもと変わらぬ平凡な一日だったに違いない。その後、「ローマ皇帝って、実はもういないんだって」と、遠い噂で聞いたのかもしれない。

帝国の変質

では、いったいローマ帝国の滅亡とは、どのように解釈できるか。滅びの本質を探ることで、逆に多くの地域、民族、文化を一つの帝国として繋ぎとめていたものが見えてくるのではないか。その核心に触れる前に、まずは衰退に至る歴史をざっくりと振り返ってみたい。

五賢帝の時代が終わり3世紀に入ると、辺境軍が司令官を皇帝に擁立して争う「軍人皇帝時代」に突入した。ごく短期間統治しては殺害されるを繰り返し、50年間に26人もの皇帝が乱立した。

その時代に終止符を打ったのが、ディオクレティアヌス帝である。もはや広大な領地を1人で統治するのは不可能と考え、帝国を西方と東方に分割し、それぞれに正帝と副帝を置き、4人の皇帝によって統治する体制を取った。自身は東方の正帝となり、他の3人を統括した。

そして、武官と文官を切り離し、自身が任命する行政官によって属州統治をおこなう官僚制を整えた。元来ローマとは、共和政時代から続く身分制の社会で、その頂点を担ったのが元老院議員である。彼らは軍団指揮も行い、属州統治も担う文武両立のエリート階級であった。それは帝政後も変わらず、歴代皇帝はこの階級から輩出された。それがディオクレティアヌス帝によって、軍団指揮からも属州統治からも完全に排除され、ついにお役御免となったのだ。

こうしてローマ帝国は、オリエント的な専制君主国家へと変質し、皇帝直属の部下によって統治される皇帝独裁体制が確立した。

東西の分断

4つに分割されたローマは、ディオクレティアヌス帝が退くとすぐに内戦に突入する。最終的に勝利し、単独皇帝となるのがコンスタンティヌス大帝である。

彼は新たな都として自身の名を冠するコンスタンティノープル(現イスタンブール)を建設し、官僚制による皇帝独裁体制を引き継いだ。ローマ帝国の中心は東方に移り、後の東ローマ帝国(ビザンツ帝国)に受け継がれていく。

一方で、コンスタンティヌスが単独皇帝となる前に統治していたのは、帝国の西方、特にガリアと呼ばれた地域だった。まだ十分な権力を持っていなかった頃の彼は、この地域の有力者と結びつき、彼らを引き上げることで、支持基盤を獲得していった。こうした有力者は力を保持し続け、西方では皇帝の支配が及びにくい構造が残った。

このような経緯から、帝国の東方と西方において、皇帝権限の強さと統治構造が異なる状況ができあがり、その後の展開に大きな影響を及ぼしていく。特に西方では、それが帝国の衰退に直結していく。

辺境で起きていた変化

その後、すったもんだが色々とあるのだが、皇帝周辺の抗争を見ていっても、ローマ滅亡の本質は見えてこない。むしろ、ライン川やドナウ川周辺といった、滅びの震源地となる辺境に目を向けてみよう。

そもそもローマは、どのようにして広い領土を統治していったのか。まず、広がった領地を守るために軍が駐屯する。その軍を中心に都市ができる。そしてその土地の有力者を身分的に引き上げて、都市の統治を任せる。ローマには中央行政を担当する官僚が300人程度しかいなかったらしい。なぜその程度の人数であの広大な領土を統治できたか。それは都市の有力者に統治を丸投げしていたからだ。ライン川やドナウ川周辺には、そんなローマ由来の都市が数多くある。そこは内の世界と外の世界を繋ぐ交易の拠点でもあった。

さらに地方有力者の子弟や都市に住む市民が、ローマ軍に補助兵として加わる。兵役を勤め上げるとローマ市民権がもらえるからだ。ここでの都市生活や軍隊生活では、ローマの法が適用されるのと同時に、ローマ的生活様式、ローマ的倫理観が浸透しており、そこにどっぷりと漬かっていく。

こうして、辺境の地に「ローマ人」が生み出されていく。ここで言う「ローマ人」とは、部族や種族で区別されるものではなく、ローマの法を守り、「ローマ的生活文化」をよしとする人々を指す。ローマという玉ねぎを剥いていくと、最後に残るのは、「ローマ的生活文化」を愛し、その社会の中で成り上がっていく有力者たちの共有意識だ。

では、滅びの本質とは何か。それは、こうした有力者にとって、「ローマ人」であることが魅力ではなくなったことにある。元老院議員として周囲の尊敬を集め、公共施設を寄贈し、そこに名を刻むことを誇りとする。トーガを身にまとい、公衆浴場で身を清め、寝台に寝そべりながら美食を味わう。家事労働は奴隷に任せ、余暇で政治や文化を語り合い、詩作にふける。それが最も人間らしい、文明的な生き方である。そんな生活への憧れがいつしか消えてしまったのだ。

ゲルマン人の大移動

辺境に住む人々は、「ゲルマン人」と呼ばれる部族を超えた集団意識は持っていなかったし、名乗ってもいなかった。ただそこには離合集散する無数の部族がいたにすぎない。

寒冷化による遊牧民族の移動に引き起こされた玉突き現象。難民のような形でさまざまな部族がローマ領内に移動してきた。部族の移動現象はそれまでもあったが、違ったのは移動後の行動である。

彼らが「ローマ化」しなくなったのだ。彼らは長髪、長ズボン、毛皮の外套のままで、トーガも着ないし風呂にも入らない。都市に住むことを好まず、市外に留まる。そして重要なのは、各部族の有力者が住民を直接支配し、ローマの統治システムに入らず、独立勢力として部隊を持つようになった。彼らにとって、「ローマ的生活文化」は憧れの対象ではなくなっていた。

そして、伝統的ローマ人たちの間に、こうした外部部族のふるまいを敵視する排他的意識が芽生えた。ローマをローマたらしめていた、他者を同化し共生する性質を失ってしまったのだ。

帝国の解体

ローマ帝国衰退の経緯をまとめて見ると、4世紀初頭における皇帝独裁制確立と東西の分裂、4世紀後半に起きた諸部族の侵入、それに対するローマ帝国軍の大敗北による権威の失墜、そして5世紀には「ローマ的生活文化」への求心力が失われ、これに呼応して伝統的ローマ人の間で排他的意識が芽生えてしまった。

ローマ帝国は、元々都市ローマを拠点とした「ローマ人」が築いた国家である。だが「ローマ人」という意識は普遍化し、広大な地域に住むさまざまな人を取り込む共通の価値観となっていた。帝国領内に取り込まれた地域の有力層にとって、ローマ人らしい生活文化への求心力が、帝国を繋いでいたものだった。それが消えてしまった時点で、ローマは帝国である意義を失ってしまった。

ローマ帝国崩壊以降、ヨーロッパ世界が統一されることは二度となかった。権力者は帝国に変わる紐帯をキリスト教に求めたが、きわめて排他性の高いこの宗教は、異質な他者を取り込む統一理念になることはなかった。

分裂する世界

今、私たちも分断の危機に直面している。21世紀に入り、資本主義、民主主義、自由主義といった価値観が、世界中で誰もが望む「当たり前」になったと思い込んでいた。そして、ひょっとしたら、大国間の戦争を人類は克服したのではないかと安心していた。

しかし、そうではなかった。ネットメディアが地球を覆う現代でさえ、世界には異なる景色を見ている人がたくさんおり、私たちが当たり前だと思っていたことは、一方から見た景色にすぎないことを思い知った。

組織には常に分裂の慣性が働く。私たちとあなた方が見ている景色は違うのだから、どうか私たちをそっとしておいてほしい。あなた方の価値観を押し付けないでほしい。私たちには私たちのやり方があるのだから。そうやって組織は、常に分裂したがる。

分裂した組織は、その立場を守るために自分たちの連帯を強め、排他的性格を帯びる。私たちは優れている。もっと団結しよう。みんなで足並みをそろえよう。私たちの価値観に合わないものを排除することで、自分たちのアイデンティティを確認する。

このような人間が持つ性質を考えると、ローマは人類史の奇跡のように思える。私たちは、敵対していた他者を受け入れ、自組織のトップに迎えるようなことができるだろうか。独りよがりな内向きの連帯に逃げず、違った価値観を持つ人を包み込む理念を示すことができるだろうか。

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