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人が亡くなることは飛行機の着陸という緩和ケア医萬田緑平(りょくへい)


えかきのつま18歳の頃えかき27歳と付き合い始めた頃に、俺は50歳で死ぬと言ってた

若かった妻は死など考えてなく、なぜそのようなことを

父親が50で亡くなったのでやはり自分も、、、と思っている男性は多いような気がする

えかきもそう感じてたようですが、もうとっくに父親があの世へ行った年を越している


母親は今年97歳、お元気でおられる


人の寿命はだれにも分からないのである


最近このような面白い本を読みました、納得する箇所が多々ある

さよなら、さよなら、さよならまた来週お会いしましょうと仰ってた淀川長治ではないけれど、小説っていいもんですよ

患者さんや家族に「治りますか?」と聞かれたら「治りません」と正直に答えるそう


「大丈夫ですか?」と聞かれたら「そもそも大丈夫ではありません」と


「ひどい医者だ!」と怒る人もいるそう


萬田医師は本当のことを述べるだけ


緑平(りょくへい)という名前は珍しいのでしょうか?


医師が一時の気休めで嘘をついても人はしあわせな最期を迎えられない


「病気は治らない」と受け入れない限り、「最後まで自分らしく生き抜く」ことはできないそう


すべての医療の目的は、「心臓が止まる時期を先送りすること」


患者の人生やしあわせを考えてくれているわけではない

病院や医師はそもそも臓器の専門家であり、人生の専門家ではない


人生まで医師に任せてはならない

患者自身が、そして家族が考えるべき



人は必ず老化し、老化は治せない


人は何が原因で死ぬ?


年を重ねれば誰でも体は弱り、すべての臓器は寿命を迎え、最後に心臓が止まって死が訪れる


つまり医療にかかろうとかかるまいと、誰もが必ず老化によって死ぬのです

人は歩けなくなり、食べられなくなり、心臓が最終的に止まり死ぬそうです

嘉琳(孫)が描いた漫画?

娘婿が娘たちが嫁に行くときには泣くだろうと言うと、下の孫の嘉純はドキッとするようなことを言う「その頃にはババ-は死んでるかも?」だって

大人より小学校一年の子供の方が死を意識しているし、シビア



   医学は統計学


えかきのつま高校卒業、油彩小川憲一豊実描く
えかきのつま62才の誕生プレゼント 小川憲一豊実描く 水墨画 次男のコメント父君鬼やわ~ えかきは特に良く描けているそう、これが分からんのか~とぼやく


あの絵とこの絵とは別人のよう、このように変わる、いまからまだまだ、、、疑問なのはえかきは今から先の年老いた妻を描くでしょうか?

男性はやはり若い女性の方が好みなので、、、でしょう?



医療は老化を治すことはできない、けれど老化のスピ-ドを遅らせられる「可能性」はあると


医療はギャンブル?


医療は不確かな可能性に賭けるギャンブルだそう


医療は統計学で成り立っている?えかきが見る手相みたいだわ~ こちらも統計?

タイへ移住した友人

医学は統計学的に心臓を長く動かす治療を与えるのが仕事


患者の人生を考えるのは医学の仕事ではない、だからこそ患者自らが医師の言いなりにならず治療してどうなりたいのか(あるいは治療しないでどうなりたいのか)を考え、選択をすることがとっても大切!


萬田緑平医師が診ているのは、患者の心であり病気ではありません、だから数字は見る必要がない


でも医師として血が騒ぎ、検査してどんな状態なのか知りたいと思うこともときどきあるそう、でも我慢する


検査をすると病状が気になり治療したくなる


治療して元気になる可能性がわずかにあったとしてもそれを望まない患者さんに余計なことを勧めるのは、医者の傲慢だから


心の状態を最高にする言葉「ありがとう」


絵とお茶テレレ近くの夕日

体の痛みは医療用麻薬を使えばなんとかなるそう

それが緩和ケアの仕事

でも、心の痛みをケアできるのは、家族や友だちだけ


ありがとうは生きる気力を引き出す最高の薬

医者が処方するどんな薬よりも、心身を楽にして長生きする効果があります


これが萬田医師の在宅緩和ケアの戦略の柱


これさえできれば、残りの人生を豊かに過ごせ、その結果、必ず穏やかな死が訪れる


「ありがとう」という言葉は、去りゆく人だけではなく、残された人の心をも癒してくれる魔法の言葉


心の痛みを癒すのは、家族や友人の重要な役割


長生きするための重要な薬、それが医療用麻薬

多く使用している人は、長生きしているといっても過言ではない

一方医療用麻薬を使う量は少ないほうがいいと考えている人ほど、命は短い

萬田医師の経験では、医療用麻薬に使いすぎはないし、中毒になることもない


エピロ-グどうやって死を受け入れるか?


死を受け入れるのは人生最後の難問

人は必ず死ぬのにどうして死の話はこんなにタブ-視されている?

タブ-にしていると、死のことを考えない

考えないから、死に直面すると、目をそらして逃げる

逃げても逃げても、死はどこまでもあなたを追いかける、だから死は化け物のように思えて恐怖の対象となる


人は必ず死ぬとわかっていても、希望の火が生きる活力になるならば、最後まで消さなくていい


死を認めよう、死を受け入れよう、死を覚悟しょう、と思っても、そう簡単にできるものではない


死に直面したときの心の持ちようは、人生最後の難関かも

こうすれば大丈夫なんていう正解はない

正解は人それぞれ、家族それぞれ


昔の小川家

死ぬときの状態は家族が願った姿


家族の延命の判断によって患者は死ぬ苦しみを味わっているのが紛れもない事実、家族の責任と

数年前までは思ってらした

どんな人生を歩んできたのか、家族とはどのように接してきたのか、優しかったのか、傲慢だったのか、憎まれているのか、愛されているのか、そういった家族との関係性は他人からは計り知れない


在宅緩和ケア医になり、たくさんの家族と接する中で気づかれた


思いやりや優しさというものは、双方向のものなのだということ

家族を本当に思いやっていたら、家族は同じように思いやってくれる

穏やかな最後を迎えられる人は、本当に家族を愛し、家族に愛されていた人と言える

家で死のう!の一部より


えかきのつまもこのような死をのぞむ


人間は誰もがオンリ-ワン

どんな人にもそれぞれのドラマがあり、一人一人がその主人公ですって


小川マリアイネス拝(松ノ下)