精神科に入院した - 自らの軸を立て直すための記録と今後について
2023年の12月、内科の病気で人生初の入院をした。
その約5ヶ月後、わたしはまた閉鎖病棟に突っ込まれている。
今度は精神科に近い病棟なのだが、精神科閉鎖病棟と聞いて想像していたよりもはるかに快適な生活を送れている。スマホもPCも没収されない、高速wi-fiとYogiboのある毎日。老若男女色んな人がいるが、今のところ集団生活に差支えもない。
これが約3ヶ月続くのだと思うと途方に暮れるけど。
精神科に入院ってマジでヤバいのでは?
職歴云々どころか今後の人間関係形成にも大ダメージを与える人生の汚点なんじゃないか?
とはいえ、なってしまったもんは仕方がない。
なってしまったもんを嘆くより、なんでなってしまったかと今後の対策を講じるほうがよっぽど人生に有用である。
隠すものも失うものも何もない今、今回の入院の成果を存分にあげるために、今回のことをnoteに書き起こすことにする。
入院となった経緯
兼ねてからこのnoteには記していたが、わたしはうつ病の診断をもらい約一年間休職していた。休職前からメンタルはおかしかったし会社でのパフォーマンスも良いとは言えず、休職後も悩みまくり泣きまくり、なんかもう、ほんとにぼろぼろの一年だった。
一年間仕事をせず(ところどころ単発のデザインの仕事を受けさせていただいたけど)薬物療法を中心に療養するものの回復の兆しが見えない。他の様々な可能性を疑ったけど、なんかどれも違うっぽかった。
入院の決め手はいろいろあるが、その中でもアルコールによる問題行動が原因だったと思う。元々酒を飲むと気が大きくなって羽目を外しやすい傾向はあったのだが、以前より少量のアルコール量でも問題行動に出やすくなったのは自分でもびっくりした。
食事をほとんど摂らずにビールを主食にし始めたこと(現実的にはもちろん無理)。夜風が気持ちいいとふらっと出て、いつの間にか気を失って倒れていたこと。それを通りすがりの若者たちが抱えて自宅まで運んでくれたこと。辛い出来事があって飲んで飲んでたいへんな状態になっていたとき、友人の家のドアと間違えて他のドアをノックしてしまい、そこの心優しいおばあさんに介護されたこと(おばあさん曰く「ドアを開けたら綺麗なお顔がぐちゃぐちゃになるまで泣いていらっしゃって」とのことだった)。
自分で書いていても顔から火が出るほど恥ずかしいし社会的ステータスを繰り下げられそうな気がしなくもないが、もういいのだ。
これは分かりづらいが、俗に言うアルコール依存症だった。
アルコール依存症とうつ病には正の相関関係があると言う。
また女性の場合は、うつ病がアルコール依存症に先行して発症している場合が多いらしい。
うつの辛い気持ちを緩和するために、飲む。
飲んで一時的に緩和されるものの、時間が経つとまた絶望感・孤独感・抑うつといった心理的苦痛を増強しはじめ、自己に対する攻撃性を高める。
このような負のループができ、次第に深く心身を蝕んでいく。
「アルコール依存症」というと仕事もせずに焼酎を煽りまくり、ゴミ袋と化したドンキの袋で部屋を埋め尽くし、ぶつぶつと小言を言いながら飲み続ける酒臭いおっさんという、どこかの映画で見た世も末の絵面が思い浮かぶがそんな人たちばっかりが対象じゃない。
むしろ真面目な人が多いし、飲んで暴れるような人は稀。
いわゆる「お酒に強い」酒豪がかかりやすいとも言われ、さらに「予備軍」と呼ばれている人は日本に980万人いるとされているが、治療にたどり着ける人は100人に一人。「自分はアルコール依存症だ」だなんて当然認めたくないし、命に関わる問題行動とまでいかなくても診断される類の病気なのだからそりゃそうなるのも理解できる。
でもわたしには明るい未来があるって諦めたくないもんで、いろんな気持ちを抱えながら病棟に引っ越した。任意入院ってやつだ。強制入院と違って自分の意思で入院すると生活がいくぶん便利になるし、何より「治してやる」の意思が違う。あたしゃ絶対に治してやる。
だいたい、うつ病だけと思い込んでいたのがアルコールとも関係があったなんて目から鱗だ。ここを頑張ればうつからも酒の失敗からも解放されるのだと考えれば(むろんそんな単純な話ではないけれど)、入院してやるかぁ〜〜ウアァ〜〜〜という感じだ。
そういうわけで、精神科・心療内科としてのうつ病治療と並行して、アルコール依存症の治療も行うことになった。
アルコールを一気に禁止しようとしても色々と危険らしく、入院して点滴やビタミン剤などを打たれながら、ゆっくりと心身を正常にしていく。
楽しく飲んでただけだと思ってたのに、
いつの間にかこうなっちまったぜ。
入院生活と、入院して思うこと
これは以前入院した病棟でも同じだったが、入院するとたいてい、朝6時に起床・夜21時に消灯という健康的なスケジュールが組まれる。
同部屋の患者さんのいびきや廊下を歩き回る足音が気になったり、隣部屋の爺さんのバカでかいいびきに感心したりするほど就寝環境が極楽とまではいかないけど、清潔なベッドで安全に眠ることができるのは当たり前のことではないのだな、といつものことながらしみじみせざるを得ない。
昼夜問わず体調に不安があれば看護師さんにいつでも相談でき、眠れなければ睡眠薬がもらえ、抑うつ気分があれば安定剤をもらえる。
そんなこんなで夜しっかり寝ると、今まで摂る気にもならなかった朝ごはんが美味しく感じられるようになるのだから不思議だ。
とはいえ、やはり簡単ではない。
入院前の日常生活では、抑うつ気分がとりわけ強い時間帯にアルコールを摂ることが多かった。医療用語でいうと「自己治療」というらしいが、うつが辛い気持ちを紛らわせるためにアルコールを使っていた。
それが入院すると一切使えなくなるのだから、当然「うつが辛い」と感じる時間が強制的に増えた。これはつらい。たくさんの睡眠薬を飲んで少し眠れたとしても、一日中めそめそしていることも少なくない。
今後は、カラダから完全にアルコールが抜けてから、うつの背景に潜む問題をあぶり出すフェーズがあるらしい。アルコールの入っていない真っさらな状態で正面からうつ病の治療に当たるという流れになる。
アルコールが抜けてはや一週間、明らかにカラダは軽いし肌も綺麗になったが、まだまだ先の道のりは長そうである。
今後、どうしていきたいかを考える
やりたいこともやりかけていることもいくつもあるのだけど、ここでは我慢してそれら全部を垂れ流さず、最小限の体力で全力投球できそうな事柄にのみ推敲してみた。
「あれもこれもやりたいのに、しかもめっちゃやってるのに、いつも何故かやり切れてない」この消化不良感は我々が考えているほど深く、ストレスとして心を巣食うものだからだ。
わたしは誰がどう見ても体力がないし、この泥臭い社会を生き抜くにはメンタルが繊細すぎる。
したがって一日9時間までしか働けないし、人間関係を選べない環境や、人間関係面・衛生面ともに高ストレスがかかる環境は避けなければいけない。こういうことを人一倍徹底しないと、文字通り死んでしまう。
だからといって社会不適合者と決めつけられるには早すぎることを、自身の体験をもって証明したい。
やっぱりちゃんと、働きたい。
クリエイティブに関わる仕事がしたい。
働きながら、プライベートも充実させていきたい。
具体的に今後、やりたいことをまとめるとこんな感じ。
退院してから開業する(今秋)までに取引先の目処を立てる
コーチングをはじめとした自己理解のためのスキルを学ぶ
積読ならぬ「積映画」を消化する
酒を断つ(たいへんだ!)
このなかからあえて外したものがある。
それはフランス語の学習である。
とはいえまったく手を付けないわけではない。将来フランスに移住するとか、フランス語を使った仕事をするとかは遠い将来の構想にあるのだけど、そのためのタスクとすると元々重い構想がさらに重くなるので、楽しみの範囲で、今できる範囲で続けることにした。
実際誰に言われたわけでもないがDELF(Diplôme d’études en langue française)というフランス語の資格試験を受験予定だし、そんな必死こいてまではないけど勉強も続けられている。
仏検は持ってるんだけどDELFは初めてだから、受験するのは易しいレベルにしてみた。ドキドキワクワク。
結構な長文になってしまったが、アルコール依存とうつ病とパーソナリティには切っても切り離せない強い相関関係があるということを、回復のためには忘れてはならないということだ。
入院生活はまだ始まったばかりだが、明るい未来を信じ、治療に専念して治していければ、という所存である。
Emoru
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