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いまの目的は作品でなくて創作だから

自分のことがよく分からなくなったり、人生に悩んでもやもやした気持ちが溜まることもあるだろう。そんな行き場のない不安やストレスを、遊びまくったり酒飲みまくったり、女遊びしたり、カラオケで歌いまくったり、バッティングセンターで発散するのもいいけれど、それはその場しのぎの逃避でしかない。いくら体が疲れても何か疑問が残んない?もやもやを振り払うただ一つの方法は、例えば、歌を創る、文章を書く、写真を撮る、絵を描く、といった創作活動なんじゃないか。

それもまた当日のひとつであるけど、やみくもにエネルギーを無駄遣いするとは大きく違う。創作行為って不思議。ただのストレス発散とは違って、内なるプロセスなのに自分とは別の形あるものが残る。なにかを残すために創造するんじゃない。作品は創造の副産物に過ぎない。

宇多田ヒカル『点―ten―』(孫引)

と、インターネットのどこかで目にして急いで手記に書き写した一節が、いまわたしに語りかけてくる。


"行き場のない不安やもやもや" は消えないのにアルコールは助けてくれない、生きているだけでまとわりつく過緊張を緩ませる便利グッズがほしい、そんな病棟に突っ込まれているわたしはこの言葉に救われた。

いま、わたしは貪るように映画を観るフェーズを終え、貪るように絵を描き始めた。インターネットに載せているのはなんとなく「公にしても可も不可もなさそうなやつ」を選んでいて、良くも悪くもインプレッションの少ないような感じを求めた。なんだって、わたしのいまの目的は作品でなくて創作だから。宇多田ヒカルとおんなじこと言ってる、わたし。でもわかるの。


だからって創作は容易くない。
孤独で、ゲロが出るほど泥臭くて、とてもじゃないけど綺麗じゃない。

創作の海にいる人間が死の淵を見たことのある目を持っていて何が悪い?
わたしはそういう創作者、または人生の航海者が好きだ。


Emoru

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