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【エッセイ】文字を、書く

いつも基本的には、iPadでキーボードを介して文章の打ち込み作業をしている。

デジタルツールなら、場所を選ばず、いつでも加筆訂正をしやすいし、ものによっては字数のカウントもしてくれる。
そりゃもうとんでもなく便利なので、いつも本当に重宝している。

ただ、たまにものすごく「手を動かして字を書く」ということをしたくなる瞬間がある。

教員をしていたときは、デジタルとアナログの比率は4:6、何なら3:7に迫る勢いでアナログに寄っていたから、よく紙に文字を書いていた。

授業用板書ノートの作成、課題で出した文章の添削、日々の自分用日報…。

もう数年前になるから、もしかしたらあのときよりデジタル化が進んでいるかもしれないけれど、教員から学校への提出物(事務書類や求められるアンケートなど)は、大抵が紙媒体のものだった。

必要に迫られ「紙に字を書くこと」が多かったわけで、一応国語が担当教科である以上、誤字脱字にはそれなりに気を配っていた。

つまるところ、今よりもずっと字を書いていたし、語彙力もあった気がするのだ。

そんな懐古スイッチが入ると、もう何でもいいから「書く」ことをしたいなと思った。

今は本当に便利だねえ、iPadにはメモ機能なんてものがある。
もちろんキーボード打ち込みのデジタル作業もできるけれど、専用のペンを使えば「自分の字」を書くことができる。素晴らしい!

どれだけ書いても紙媒体のように嵩張らないし、持ち歩きも容易。基本的には消さない限り消えないし、書き直すことも容易。

ちょうど、デジタルとアナログの狭間のようなツールだなと思う。個人的にとてもありがたい。

そんなわけで、今日はデジタルに手書きで、いろいろ書き起こして脳内整理をするような作業をした。


展開を繋いでは切り離し、付け足したり、書き足したり…。手元でいろんなパターンを可視化させていくのも刺激的で良い!

そんなことを思いながら、休憩がてらメモの隅っこに落書きをする。

これはいつも思っている。

縦書きは書き慣れているから、そして読み慣れているから好き。筆の運びの都合などで、日本語は縦書きと親和性が高い。

国語はもちろん縦書きが基本だし、黒板に板書をするときだって縦書きだった。

間違いなく、私は縦書きの方が馴染みが深い。
そんなわけで愛着もあるから、私は縦書きが好き。


ぜんぶひらがなで、さくひんづくりもしてみたい。

日本は本当に表記文字が豊かだ。

漢字、カタカナ、そしてひらがな。
アルファベットに算用数字も、日常的に使いこなす。

それぞれに抱く印象があって、ゼンブカタカナデモヨミニクイシ、ぜんぶひらがなでもよみにくくかんじる。

漢字もほどほどに混ぜながら、句読点まで駆使して我々は「日本語」を綴る。すごい才能だと常々思っている。

文章を書く上で、あえてカタカナにしたり、ひらがなにしたりなんてことも選ぶことができる。書き分けるとき、そのおかげで都合よく書けることもある。

そんな中、「記号として」言うのであれば、私は何よりも「ひらがな」が好きだ。

曲線が多く、柔和な印象の強い記号で、感覚的な話だが、温かみがあると感じている。
書く人の個性が出やすい記号だとも思う。

これも感覚的な話だが、「ひらがな」の向こうには、書く人が透けて見えるような気すらする。

そんなわけで、私は「ひらがな」がすきだ。


字を書くツールが変わると温度も変わる。

同じような理由で、ペンで書くようなパキッとした線よりも、掠れのでる鉛筆や筆の方が好きだ。

ああ、たまにはこういうのも良いなあと思いながら、デジタルとアナログの隙間で良い時間を過ごすことができた。

うんうん、たまには物理的に「書く」時間が私には必要だ!

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