【エッセイ】私、かわいくないから
「私、かわいくないから」
先日、事あるごとにそう口にする人と、少し話しをした。
初めこそ、「またそんなこと言っちゃってー」なんて受け流していたのだけれど、五回目あたりでさすがに言い過ぎだろうと思い、話しをぶった切って「やめなよ」と止めた。
かわいいって、何なんでしょうね?
今日はそういうお話。
そもそもの言葉の意味を、いま一度見てみることとする。
へえ、可愛いは当て字なのねえ。
人が「かわいい」と口にするとき、ポジティブな意味でいうなら間違いなく、1の「小さいもの、弱いものなどに心引かれる気持ちをいだくさま」を指すことだろう。
対象は「小さいもの、弱いもの」になるのか…。
そんな風に思って使ったことはあまりなかったし、そのつもりで使っている人もそんなに多くないとは思う。
まあその辺は言葉の認識の揺れということで、言及は控える。
そんなことを考えつつ、今回の違和感などに思いを巡らせる──。
「私、かわいくないから」と度々口にしていたあの子は、自尊感情が低めではあった。
前提として、私は彼女のことを小さいもの、弱いものだと思ったことはない。
私より背は高いし、何なら美人だとすら思う。
「かわいい」を純粋に「心引かれる気持ちを抱くさま」という意味合いで使うのであれば、私は間違いなく彼女のことを「かわいい人」だと思っている。
だからこそ、「私、かわいくないから」と言われるたびに、私の中の「かわいい人だな」と感じている、彼女への価値観を否定されたような気がして、釈然としなかったわけだ。
何でそんなこと言うんだろう、あなたはこんなに魅力的なのに。
こんなに、話す声は優しいのに。
選ぶ言葉にはセンスがあるのに。
冗談を言って笑う顔は素敵なのに。
私は、あなたの書く字が美しいことも知っているし、ネイルにいつもこだわっていて綺麗にしていることも知っているし、控えめだけど自分の意見がしっかりあることも知っている。
いいところなんてたくさんあって、十分「かわいい人」だ。
あまりに「かわいくない」と否定されすぎて、ムキになって上記のことを一生懸命伝えた。実に暑苦しく、鬱陶しいヤツである。
最後は相手が私の主張を飲み込み、笑ってくれたので、ヨシ。
ただし。
こんないろいろ言っておきながら、私は私自身のことを「かわいい」と思ったことはない。
そもそも他人にとやかく言えるほど、自尊感情だって高いわけではない。何か特別なものがあるわけでもなし、誇れる「何か」が別段あるわけでもない。
きっと、大抵の人はみんなそんなものなのだろうとも、思う。
でも、それでも。
幸運なことに、私の周りにはいろんな言葉をくれる人たちがいる。
私を「認めてくれる」人が、いる。
私を「許容してくれる」人が、いる。
私を「愛してくれる」人が、いる。
老若男女問わず、そんな人がいて「私」を支えてくれている。たくさんたくさん、「くれる」人がいて、私は私たり得る。
それを、私は「知っている」。
私が誇れるのは、ただただそういう愛すべき人たちにたくさん出会えている「運の強さ」だけだ。
そんな私にできることは、同じことを私の大切な人たちにしていくということ。
もらったものを、返していく。
あなたが認められないのなら、私が認めてあげる。
あなたが許容できないのなら、私が許容してあげる。
あなたが愛しきれないのなら、私が愛してあげる。
言葉にすると何だか偉そうだけど、ただ、それだけのことを繰り返して生きている節がある。
本当に、ただ、それだけなんだよなあ。
自尊感情は、自分だけではきっと育てきれない。
誰かが、私を支えてくれるように、私も誰かを支えられたらなと、日々そんな気持ちでいる。
ああ、情けは人の為ならず──。
想いは巡る。
上手く言えなくて、陳腐な言い回しになるけれど。
私は愛も、きっと巡るものだと、思っている。
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