【ショートショート】 クッキーを買うために
高校受験に失敗して、適当な高校に入った。
私はこれまでの人生で、挫折らしい挫折を味わってこなかったから、自分の人生にもこんなことはあるのだなと少しだけ驚いた。
私の可能性を信じて疑わない両親は、受験失敗の事実に私よりもショックを受けていて、少しだけ申し訳ない気持ちにはなった。
それでも、私には取り立てて夢や目標なんてなかったし、そこまで得意なことも誇れることもなかった。
つまるところ、高校なんてどこに行っても多分同じだったと思う。
入学してからの私は、大人にいろいろ絡まれるのが嫌で、「しなくてはいけないことは、口を挟まれる前にさっさと終わらせる」ような過ごし方をしていた。
おかげで、周囲の人間は、そんな私を「真面目な生徒」と認識したようだった。
頼んでいないし望んでもいなかったけど、どうでもよかったので別に誰に何を思われても構わなかった。
いつだって、退屈だった。
教室で騒ぐ同級生は、みんな馬鹿に見えた。
毎日毎日、ドラマやコスメの話、惚れた腫れたの感情が渦巻く空間に、私は「自分のための酸素」はないと早々に理解した。
よく教室から外を眺めた。
席替えのとき、みんなが嫌がる前の方の席でも、私は何ら問題なかった。ただし、窓側の席であれということだけを切に願った。
私の「酸素」は、窓の向こうにしかなかったからだ。
晴れの日は、遠い空に雲が流れるのを好んで眺めた。
無限のように感じられるあの時間は、授業よりも私の心を魅了した。
雨の日は、窓を打つ雨粒の行方を目で追った。
何も見えない自分の未来よりも、雨粒の行く先の方がずっと気になった。
風の日は、鳩か何かが強風に煽られて翻弄される姿に少し心を痛めた。
まるで一枚布をめくれば無力が剥き出しになるような、自分をみている気がして複雑な気持ちになった。
好きなことはあれど、それが将来に繋がるものかなんて全くわからなかったし、続けられる自信もなかった。
必要最低限の協調性のおかげで、周囲に友達と呼べる人たちはいたけれど、それ以上でも以下でもない関係だと思っていた。
いつだって、本当にいつだって退屈だった。
あっという間に一年が終わり、二年の夏がやってきた。
教室内で聞こえてくる話の内容に、だんだん進路に関わることが増えてきた。
さすがに少し焦った。
私の胸の内には、何一つ思い描ける未来がなかった。興味のあることがないわけではなかったけれど、でも…とか、だって…が渦巻いて何一つ選びきれていなかった。
そんなある日の放課後、私は、同じ方向に帰る友人の付き合いで寄ったコンビニで、不思議な体験をした。
何か欲しいものがあったわけでもない私は、用もなくぐるりとよく冷えた店内を歩く。
ふと視界の端を動く人影を見た瞬間、思わず声が出そうになった。
お菓子の棚の前で、悩ましげな顔をする女性が「私」にそっくりだったのだ。
髪の長さ、持っているバッグの色、スカートの丈、靴下の色まで、寸分違わずそれは「私」だった。
一つだけ違う点として挙げるのであれば、私は何も必要としていないけれど、彼女はお菓子を買おうとしていたというところくらいだろうか。
彼女は真剣に棚を吟味する。チョコレートの棚に目をやっては、ポテトチップスの袋に手を伸ばしては止める…。
そんな彼女を、じっと見つめる私。
一緒にコンビニに来た友人は、どこに行ってしまったのだろう。思わず探そうとするも、目の前の不思議に心が留められて動けない。
時間にして一分もない、ほんの数十秒だったと思う。ふと彼女は私の存在に気づき、こっちを向いた。
「あ…」
向こうも少し驚いた顔をする。陽気な音楽の流れる店内に立ち尽くして見つめ合う。真正面から見ても、本当に「私」だ。どこからどう見ても、「私」だ。どういうことだ。
普段、何かに驚いたり興味を持ったりすることの少ない自分が、こんなにいま目の前にある「不思議」に向き合っている事実が面白くなって、笑ってしまう。
そんな私の表情の変化をよく見ていたとみえて、「私」も少し笑う。へえ、私笑うとこんな感じなのか。
「ねえ、どっちが好き?」
起きている不思議には何も触れずに、「私」は私に問うてくる。その手には、チョコレートとクッキーがあった。
「うーん…好きなのはチョコだけど、外は暑いし溶けると嫌だからクッキーかな」
私も不思議には触れないまま、少し悩んで返事をした。そんな私の答えに、「私」は満足せず、納得いかないという表情で首を振る。
「そうじゃない。どっちが好きかを聞いているの」
「…」
「だけどとか、でもは禁止。ねえ、どっちが好き?」
「……クッキー」
その答えに「私」は満足したように頷く。
「そういうこと」
そう言って、持っていたクッキーを私に持たせて笑う。
「あなたが今しなきゃいけないのは、そういうことの繰り返しだよ」
ふと「私」のカバンから、大学の資料が見えていることに気がついた。私は、持っていないものだ。「私」にあって私にないものが、ゆらりと見えた気がする。
「いつまでも、つまんないつまんないって待っていたら、何もかも逃しちゃうよ。周りを動かすことは難しい。環境を変えることだって、簡単じゃない。結局は、自分を変えるのが一番手っ取り早いし、確実ってこと」
私と同じ顔をした彼女はそのまま、また私に問う。
「ねえ、私は何が好きなの」
突然そう問われ、ぐっと言葉に詰まる。そんなの、そんなの…私が知りたい。
そんな私に、「私」はふっと笑って見せた。
「人生は、そういうことの繰り返しだよ」
そう言って、私が選ばなかったチョコレートを棚に戻し、じゃあねと手を振ってその場を離れた。それと同時に、一緒にコンビニに来た友人から声を掛けられる。
「あ、こんなとこにいた。お待たせ。…あれ、それ買うの?」
友人に言われて、ふと見ると手元には「私」から選び受け取ったクッキーがあった。
少し悩んだけど、私は「うん」と答えてレジに向かう。
「私」のカバンから覗いていた、大学の資料を頭の中で思い返しながら、自分で選んだクッキーを買うために。
(2488文字)
=自分用メモ=
人生は選択の繰り返し。何がどうあっても、自分の人生は自分が選び取っていくしかない。人に任せたり、選択を曖昧にして流されてしまうと、後悔が生まれたとき自分の中で整理がつかなくなる…。
斜に構えることは悪いことではない。捻くれることだってガッツがいることだ。けれど、いずれも損をすることが多い気がする。何だかんだで結局素直が、一番ってわけだ。たとえ、不思議なことが起きても、起きなくても。
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