【ショートショート】 「その明日」がくる前に
「もし、明日死ぬって言われたらどうする?」
「何だよ急に」
ついさっきまで、明日のテストが嫌だと騒いでいた塩谷は、机に突っ伏したまま顔だけこちらに向けて、妙にキラキラした眼差しでそう聞いてきた。
「いいから。どうする?」
「どうもしねえよ」
「えっ」
信じられないというような顔で、塩谷は続ける。
「明日だよ?もう死んじゃう、何もできないってなっちゃうのに、何もしないの」
「多分、何もしないね」
握ったままのシャーペンをかちかちしながら、俺はそう答える。
「何で?」
「何でって…何をしたってどうせ死ぬなら、してもしなくても一緒じゃね」
「死ぬ前の気持ちの準備とか、いろいろ考えることはあるじゃん」
「考えたって最終的には死ぬんだろ」
「そうだけど…」
塩谷は不服そうに、身体を起こして頬杖をついた。
「最後に好きなもの食べたいとか、好きなことしたいとかならないの」
「だから、何食べたって何したって、死んだら何も残らないだろって」
「最後に好きな人に会いたいとかも、ないの」
ぐっと、つい言葉に詰まってしまう。
最後の最後、好きな人の顔を拝みたいという気持ちは…まあわからなくもないかもしれない。
「死ぬってことは、もう会えなくなるんだよ」
「…まあ、そりゃそうだろうな」
「それなのに、何もしなくていいの」
「相手にも都合があるだろうし」
何だそれつまんないと、塩谷はため息混じりに言う。
「じゃあ、お前だったらどうすんだよ」
「私?」
待ってましたとばかりに、眼差しに光りが戻る。
「私はねえ、まず駅前のケーキ屋さんでプリン買い占めて、プリン祭りをするでしょ」
「…へえ」
「その後、買うか迷ってたあのライブ映像のBlu-rayを買うでしょ」
あまりに俗っぽい欲望だなと思ったけれど、当の塩谷は至って真剣な顔をしている。右手で指折り数えながら、「あとはー」と楽しそうに言葉を続ける。
「…ママにごめんって言うでしょ」
「ああ、今朝も喧嘩したって言ってたな」
「だってまじで、家出る瞬間までグチグチうるさいんだもん」
塩谷によく似てお喋りな、塩谷の母親を思い出す。声が大きめな、明るくて元気のいいおばさんだ。
塩谷は大体毎日、おばさんと喧嘩をしている。もはや、二人の日課みたいなものなのだと思う。
「クロの洗濯もしてやろうかな」
「あいつ風呂嫌いなんじゃなかったっけ」
「嫌いだよ、すぐ逃げるし吠えるし。でも風呂まで連れて行っちゃえば大丈夫」
「最後に風呂入れられたら、クロの中のお前の記憶が、嫌なもので終わるんじゃないの」
はっと息を飲むような素振りをして、「お風呂の後におやつたっぷりあげるから許される…」と呟く。
そんな塩谷を、俺ごと夕陽が包む。今日も綺麗な夕焼けだ。
「パパにも、とりあえず大好きって言ってあげよ」
「とりあえずなんだ」
「そう、とりあえず。挨拶するのがママだけだと、後から夫婦喧嘩のタネになる気がする」
自分がもし死ぬとしたらという、仮定の話しをこんなにニコニコして話すやつがあるかよ。塩谷があまりに楽しそうに話すもんだから、俺は反応に困ってそっとため息をついた。
「案外、したいことってないかもな。明日とか急に言われても困るじゃんね」
「だから言っただろ、何したってどうせ死ぬなら一緒って」
「一緒じゃないよ、終わりがわかってる方ができることもあるかもしれないし」
塩谷は少し大きな声で、眉間に皺を寄せ抗議する。夕陽に塗られた頬がオレンジに光っていて、綺麗だなと、思う。
「と、とりあえず」
俺は取り繕うように慌てて話す。何だ、綺麗って。
「明日死なないとしても、今日帰ったらおばさんには謝れよ」
「何で」
「何でって…」
不服そうな塩谷の方を向いて、言う。
「お前の言うその明日が、いつ誰にくるかはわかんないだろ」
「…」
「ありがとうとかごめんとかは、何回言ったっていい」
「…確かに」
人の減った廊下に、下校時刻を知らせるチャイムが響く。テスト勉強と称してダラダラ過ごす放課後って、何でこんなに時間の流れが速いのだろう。
「…よし、帰るぞ」
黙って何かを考えているような塩谷を横目に、とりあえず机上にある消しゴムのカスを集める。
それを見て、塩谷ものろのろと帰り支度を始める。
「そうだよねえ」
ノートと問題集の角を、とんとんと揃えながら噛み締めるように、塩谷は言う。
「明日が、いつ誰にくるかはわかんないよね」
「…おう」
ちょっと釘を深く刺しすぎたかと、こちらが悩み出した途端、屈託なく「じゃあプリン買って帰っちゃおー」なんて言うもんだから、俺は思わず笑ってしまった。
「やっと笑ったな」
「うるせえよ」
「プリン、ママとパパの分も買って帰るかな」
「良いんじゃん」
俺たちには、多分まだ「その明日」は来ない。少なくとも、俺はそう信じているし、そうであって欲しいなとも思う。
名ばかりのテスト勉強で、夜に泣くのは見えていたけどこんな日もあって良いなとも、思った。
「…それで、あんたが最後に顔を見たい好きな人って誰なの」
「お前は本当にうるさいな──」
(2044文字)
=自分用メモ=
可能な限り、登場人物の性別をあやふやにしてみようとしたのだけれど、わりと早々に「私?」のセリフに辿り着いてしまった。一人称で性別が定まるのは、日本語の優秀な機能の一つだと思う。限られた時間や文字数で、そのキャラの説明をするときに有効だ。
放課後に残ってやるテスト勉強、私はまともに「勉強」していた記憶はないなあと思い出しつつ書き上げた。
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