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【ショートショート】 いまの私、いつかの私

「私は、気が付いたらここにいました。何に逆らうでもなく、何に惹かれるでもなく、人生の波に乗って適当に生きていたら、ここに流れ着いていたのです。私のこれまでは、ただそれだけの言葉で語れてしまう程度のものだと思います。恐らくこれから先どれだけ生きたとしても、自分が何をしに生まれたのかなんて、きっと私にはわからないでしょう──」

 ここまで書いたら、本当に馬鹿馬鹿しくなって思わずシャーペンを置いた。提出条件に、最低文字数が指定されているものだから、とりあえず何とか文章を長くしてみようと試みたけれども、その気になればだらだらと何とでも書けてしまう。そんな自分の人生を目の当たりにして、心底嫌になった。

「…なんだこれ」

 自分で書いておきながら、読み返す気も起きないくらいくだらない作文だ。そっと、雑な文字の並んでいる原稿用紙を裏返す。

 教室の窓の向こうに、大きな木が揺れているのが見える。そういえば台風が近づいているんだっけ。今朝、頭の悪そうなクラスメイトが「台風が来て学校なんて吹き飛ばしてくれたらいいのに」と残念そうにぼやいていたことを思い出す。

 そりゃ名案だ!って一瞬思ったのは嘘じゃない。
 だけど、毎日「いってらっしゃい」と見送ってくれるママのことや、興味もないだろうに「最近どうだ楽しくやってんのかー」なんて聞いてくるパパのことがふと頭をよぎって、私はその子の言葉をそっと聞き流したのだった。
 ふう、とため息をついて真っ白なB4の紙を恨めしそうに見る。

「いまの自分、というタイトルで作文を書きなさいって言われてもな…」

 思わず、独り言が出てしまう。何だ、「いまの自分」って。そんなの私が一番知りたいよ。自分のことすら何もわからない、ということしかわかっていない、そんな自分について、原稿用紙をどう埋めればいいのだろう。

 真面目に書いたとしても、読むのは先生というつまらない生き物なのだ。
 ここの漢字が違うだとか、そこの言葉がおかしいだとか、そういう「言いたいこと」から外れた、私にとっては大して重要ではないことしか見ていないということを、私はこれまでの17年間で知っている。

 そして多分、当たり障りのないことを書いたほうが、大人は喜ぶのだということも、知っている。

 したいことは特にない。欲しいものも別にない。この、真っ白な紙は私自身だ。…どうしよう。

 何の気なしに校庭を見ると、部活動で走り回っている子たちが見える。少し羨ましく思う。何が楽しくて、あんな汗だくで走り回っているんだろう。

 どこからか、楽器の音が聞こえる。吹奏楽部か軽音学部か…。何が楽しくて、毎日部屋にこもって楽器の演奏ばかりしているんだろう。
 …ああ自分って本当に嫌な考え方しかできない人間だなあ。深呼吸をする。

 そのままそっと目を閉じる。少し強くなった風が、窓ガラスを揺らす。木の葉の擦れる音の隙間から、どことなく懐かしい楽器の音とボールパスを促す誰かの声が聞こえる。ゆっくり息を吸って、吐く。自分の呼吸音ががらんとした教室に広がる。

 思っていないことを書くことは、したくない。わからないことは、わからないままだし、したいことなんてやっぱりない。

 吸って、吐く。吸って、吐く。

 仕方がないじゃないか。したくないことがあるのも、わからないことだらけなのも。

 それが「私」だ。
 どうしようもなく、いま何も見つけられていないのが「いまの自分」だ。真っ白な紙は私自身で、だからこそ、ここから好きなように書いてみるしかない。そんなような気に、ふとなった。

 もう一度深呼吸をして、そっと目を開ける。
 真っ白な紙は、そこにある。
 それを表に返して、原稿用紙にもう一度向き合う。

「──恐らくこれから先どれだけ生きたとしても、自分が何をしに生まれたのかなんて、きっと私にはわからないでしょう。」

 そりゃそうだ、わからないことだらけだ。指先でシャーペンを探し、一度ぎゅっとそれを握って続きを書いた。

「──だから、
 それを探すために私はいま、生きています。
 それがいまの私です──」


(1645文字)

=自分用メモ=
今なおふらりと連絡をくれる教え子がいる。みんなそれぞれ何かに悩んでいて、その悩みはいつか自分がぶつかったことのあるものだったり、苦しんだものだったり…。そんなことをしみじみ思い返しながら書いた。私も今、「私」を探すために生きている。

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