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【ショートショート】 さかなのノート

 授業中、教科書とノートを自分の座る席の机上に広げる。

 そこは私にとって、五十分を過ごすにはあまりに狭い世界なので、私はときどきノートの「なか」に救いを求める。

 授業がつまらないなとか、教室を出てどこかに行きたいなと思うたびに、ノートの最後のページにさかなの落書きをすることにしたのは高校一年生の頃だ。

 本当に、「つまらないな」と口に出して言ったり、どこかに行ったりしてはいけないということを理解してから、そうするようになった。

 理解はしても、胸の奥底では納得ができていない。つまらないこと日々続けるなんて苦痛だからこそ、私の中で芽生えたそれらの気持ちは、放っておいたらそのままぐるぐると私の中で泳ぎ出してしまう。

 その周囲には説明しにくい衝動を、私はペン先からノートの隅に放流していく。
 押し寄せる波の中、さかなを描くおかげで、私は「私」の本体を授業という空間で、息をすることを忘れずにいられた。

 それが正しいのか正しくないのかは、私にとって重要ではない。何はともあれ私がやっと見つけた、私なりの共存方法だった。

 だから私のノートは、どの教科のノートももれなく最後のページはさかなだらけで、じわじわと前のページに向けてその範囲は拡大していく形をとっていた。

 ノートに生まれるさかなたちは、大きさも色も、鱗の数も何もかもがバラバラで、それぞれ好き勝手な方向を見ている。

 特別さかなに詳しいわけではないから、デフォルメされたイラストとしてのさかなを、気まぐれに描き続けていた。

 そんなある日、とある先生にその「カラクリ」がバレた。

 指定の問題を解いてみる時間で、するべきことを終えた私は、いつものようにノートの最後のページを開けて、さかなを書き連ねていく。

 その場面を、問題を解くクラスメイトの間を歩いていた先生に見られたのだ。

「授業中ですよ、落書きはやめなさい」

 しんとした教室に、その声はよく響く。
 私は、ボールペンの先がじわじわノートを黒くしてゆくのを眺めた。

「問題は解けたのですか」
 みんなと同じことを同じときにできないといけない、そのようなことを先生は続けて言いながら、私のことを呆れたように見下ろしてくる。

 どうしたらいいのかすっかりわからなくなった私は、じっとそのままペン先を眺めている。
 先生の言葉は、教室に響き続ける。

 するとどうだろう、ペンを持つ私の指が、先の方から鱗のようなものに包まれていくではないか。

 私はその様子にすっかり心を奪われて、先生の呪文を聞きながら、自分の指先をじっと見つめた。

 指先から手の甲、手の甲から腕そして肩へ。
 自分の体の皮膚が、どんどんと鱗になっていく感触を私は黙って楽しんだ。

 何も知らない先生は、呪文を呟き続けている。そのうち、手元のノートにも変化が見え始める。
 私の書いた無数のさかなたちが、まるで生きているみたいに動き出し、ノートの上でビチビチと跳ね始めたのだ。

 私はすっかり楽しくなって、その変化の一つひとつを見逃すまいと真剣にノートに見入った。

 実体を得たさかなたちは、形を持ったものから順に、群れをなして教室を泳ぎ出す。

 私はそのさかなたちを追いかけて、椅子から立ち上がる。するとさかなたちは、待っていたかのように私にまとわりついて、そのまま私をすっぽりと包み込んでしまった。

 まるで、いつか水族館で見たイワシの大群に包まれたようだった。

 あっという間に、私も大きなさかなになって教室を泳いでいた。

 先生はそのことに気づかず、黒板の方に歩きながら呪文を呟き続けている。
 この後、教壇に登って振り向いた頃、私はすっかりさかなの仲間入りをしているのだろうなと思うと、たまらなく嬉しい気持ちになった。

 物珍しそうに私を見上げるクラスメイトたちは、さながら水族館のガラス越しにさかなを観るお客さんのようだ。

 深呼吸をしてから、ぐんと全身に力を入れ、教室のドアから廊下に出ることにした。

 一人ではない。「仲間のさかなたち」が、わあーっと廊下に広がっていく。

 私はその美しさに満足して、そのまま廊下を真っ直ぐに泳ぎ始める。

 その瞬間、誰にも救われず、誰にも掬われることもない世界を、自分の力で泳いでいくと決めた。


(1731文字)


=自分用メモ=
今回の制作ワードは、「ノート」と「水族館」に設定して挑戦した。
想像力は、ときどき私たちを救う。それらはいつでも、私たちの心に巣食うし、掬い上げて別な世界に連れて行ってくれることもある…。
教室というあの独特な、隔離されている空間の空気感を思い出しつつ描きたい風景を思い浮かべていく。
日本語の同音異義語の多さに、楽しくなりながら一気に書き上げた。


最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
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