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【ショートショート】 耳からの守護

 この世界に、音楽があってよかった。
 私はそう思いながら、イヤホンを耳に持っていく。


 ことの発端は、私が大学へ向かう途中に、バス停で見知らぬおばあさんを助けたことだったらしい。

 バスに乗ろうとした際、目の前にいるおばあさんが入り口のステップを上るのを大変そうにしていた。荷物が大きかったせいもあるだろう。

 真後ろにいた私は、何も難しいことは考えずに「荷物、持ちましょうか」と問うた。そんな私におばあさんはホッとした表情を見せ、「ありがとう、恩に着ます」と荷物を預けてくれた。

 そのまま、彼女に続いてバスに乗り込む。
 おばあさんが、たまたま空いていた近くの席に座ったのを確認し、その膝に預かった荷物をそっと置いてお礼を言われ、どういたしましてと返した。

 私も後方に空いた席があったので、そこで別れてその後ろの席に座り大学まで乗る。出来事としては、ただそれだけのことだった。

 そのはずなのに、何だか面倒くさいことに巻き込まれた。


「そういや今朝バスで、ばあちゃんに媚びてたよね」

 普段、何となく集まっているゼミのグループ。いつものように食堂でランチを食べていたら、不意にそんな話が出た。
 媚びてたって言い方どうなのとか何とかいろいろ言う面々を横目に、ぼんやりうどんを啜っていたら、周囲の視線が私の方に向けられる。それを見て、自分への言葉だったのかと理解することになった。

「…何の話?」
「え、何かやってたじゃん」
「それ見たかも、駅前からバスに乗るときでしょ」
「そうそう」

 身に覚えがなさすぎて、ピンとこない顔をしていたら、またまたぁと笑われる。

「ばあちゃんのお世話してたの、あれ知り合いじゃないでしょ」
「ああ…。世話っていうか、大変そうだから手伝っただけで」

 さすが、優しい人は違うよねえ。すごいね、私にはできないなあ。…ああ、私知ってるこの空気感。

 嫌な、空気。

「見てたなら、あんたも手伝ってあげたらよかったのに」

 それだけ言って、最後の一口だったうどんを口に運ぶ。

 周りは何も反応しない。いや、わからない。本当はしていたのかもしれないけれど、私は興味がなかったからそのまま「ご馳走様」と手を合わせた。

「じゃあ、私は次A棟だからもう行くね」

 黙って去るのは行儀が悪いなと思ったので、それだけ言い残す。

 A棟はここから少し離れたところにあるし、次の講義のある教室は小さめの場所だから、好きな席に座るため早めに移動したかったのは事実だ。

 不必要なイザコザは、煩わしいから回避したい。そして、自分と価値観の違う人に割く時間が惜しかったのも嘘じゃない。

 合わないものに、無理に合わせる必要はないと思う。私は別に「良いことをした」つもりもなければ、「媚びた」つもりもない。

 そもそも媚びるって、あの状況で一体、誰に媚びたというのだ。何のためになんだ。気にはしていないつもりでも、向けられた言葉の先はしっかり胸に引っかかっていて疑問は尽きない。

 私の中にはない価値観に、頭の中がぐるぐるする。そんな何とも言えないことを思いながら、ポケットに入れていたイヤホンを耳につける。


 ──この世界に、音楽があってよかった。

 私はしみじみそう思いながら、何故か少し鼻の奥がツンとするのを堪えるために、音楽のボリュームを上げた。


(1353文字)


=自分用メモ=
どうしたって、分かり合えない人というのは一定数いる。物事の受け止め方の違い、価値観の違い、言葉選びのセンスの差…。そういうものを目の当たりにしたときの違和感からは、こちら側で意識して離れて「自衛」することも大事。数日前に聞いた話をタネにして膨らませた。

備忘録→「この世界に音楽があってよかった」の書き出し縛り



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