【ショートショート】 青いボタン
生きていたら、ボタンの掛け違えのようなことはわりとあって、気づいたタイミング次第で、もうはどうしようもなくなっていることもある。
早めに気づくことができたら、全部外してもう一度正しく掛け直すことができる。
でも、気がつくのが遅れたら、これまで掛けてきた労力次第では、全部外してまた掛け直すという事実に心が折れてしまう。
それで、結局ちぐはぐなまま生きていく…。
私はいつもいろんなことに鈍くて、もちろんボタンの掛け違えにも全然気づくことができないタイプだ。
気がついたときには、もうその掛け違えたまま物事が進んでいて、今さら「やり直したいです」なんて言い出せない。
だから、私の人生はいつもどこか歪で、ちぐはぐしたままのところが多い。
あれもこれも、ちぐはぐでもうそれをそのまま受け入れるしかないということだらけで、自分が嫌になる。
「ねえ、それでいいよね」
「…あ、うん…」
「助かるー。ありがとう」
…しまった、何の話だったかちゃんと聞いてなかった。
よろしくねーと去っていくクラスメイトの背中を見ながら、やっと美術の授業で使った道具の後片付けを頼まれたのだと理解する。
頼まれた?…押し付けられた?
いいの、別に。後片付けが嫌なわけじゃない。
楽しそうに笑いながら、次の授業の移動教室に向かう彼女たちだけが、悪いわけでもない。多分。
いつからこんな風になっちゃったんだっけと、ぼんやり思いを巡らせながら、道具を洗い場に持って行って洗う。
洗い場の横の蛇口には、楽しそうに片付けをしている二人組がいた。ああでもないこうでもない、お昼休みはこうする宿題がどう…取り留めのない話を聞くともなく聞く。
私は何で一人で、こんなことをしているのだろうという気持ちがないわけではないけれど、これも多分私が上手に「ボタン」を掛けられなかった結果なのだろう。
友達がいないわけではない。
なかった、はず。…多分。
親友と呼べる子だっていた。過去形。
あの子とは、本当にずっと仲良くやってきた。一年の頃から同じクラスで、二年のクラス発表も一緒に見て、並ぶ名前に手を叩いて喜びあった。四月のことだ。
ほんの数ヶ月前なのに、もう遠い昔のような気がしてくる。
あの子には一年の頃から好きな人がいて、私もずっと応援していた。
同じクラスだった彼とはだんだん話すことも増え、彼の部活終わりをあの子と一緒に待つこともあった。
二年になってクラスが離れた彼とは、普通に教科書の貸し借りをしたり、廊下ですれ違うときに会釈をしたりという特別でも何でもない関係だった。
親友に加えて、仲のいい異性の友達ができたと、そう思っていた。
蓋を開けたら、彼は私のことを好いてくれていた。親友だったあの子を振った数日後、彼は私に告白をしてきた。
もう頭の中が大混乱だった。
大切な親友を慰めていたはずなのに、親友を泣かせた理由が自分の手にも握らされていたなんて、思いもしなかった。
結果として、私は男友達を一人失い、親友も失った。
「あんたの、その何もわかっていないところが腹立つんだよね」
泣きながらこっちを見ることなくあの子に言われた言葉が、思ったより深く刺さっていて、思い返すと今も痛い。
道具を洗う手元の水が跳ねて、制服をじわじわ濡らす。捲り上げたはずの袖が、ずるずる落ちてきて袖口をじわじわ濡らす。
あの子と口を聞かなくなって、もう随分と経つ。
自分がもっと上手に「ボタン」を掛けられたら、きっとまだ親友でいられたはずだった。誤解が誤解を生んで、ちぐはぐは人間関係にまで影響を及ぼす。こんなに、大きく。
あの子の気持ちは想像できる。多分間違えたのは私で、いろいろ気づくのが遅れたのも私だ。
何もかも上手にできなかった私は、引き返すこともうまくできず、もうずっと掛け違えたままの「ボタン」を黙って掛け続けている──。
「ねえ、早くしないとチャイム鳴るよ」
ハッとして振り返ると、怒ったような顔のあの子がいた。
「何で一人で片付けてんの」
「えっ…えっと」
「そういうとこ」
「…」
「その何もわかってない感じが腹立つんだってば」
押し付けられてんの、何でわかんないのと、ぶつぶつと言いながら私の横に立ち、あの子は洗い場に残っていたものを洗い始める。
上手く洗うから、水が跳ねることもなく制服は濡れない。器用に腕まくりをして、袖口を濡らすこともない。
私は思わず、目をぎゅっと瞑る。鼻の奥が痛い。静かに、できるだけ小さく息をして、込み上げるものをやり過ごそうと頑張る。
手の止まったままの私を、あの子は叱る。
「ほら、早く」
私はこれまで無心で掛け続けていた「青いボタン」を、一気に外すようなつもりで、口を開いた。
今だと、思った。涙と共に、やっと一言絞り出す。
「…ありがとう」
(1960文字)
=自分用メモ=
友達って良い。友情って、良い。恋愛云々も良いけれど、私は断然友情系の話の方が感情移入する。生きてたら、あるんだよなあ。望んでいないところでよくわからない誤解が生まれて、ボタンの掛け違いみたいなことが起きちゃうこと。
掛け違えたちぐはぐに気がつけたとき、少しでも早く、もう一度掛け直す勇気を持てますように。誰かが振り絞った勇気を無駄にすることがありませんように。
そんな気持ちを込めて。
いつもより句点を増やし、今まで避けていた短文を多めに使用してみた。
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