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【ショートショート】 雨宿り三人衆

──ある日の暮方の事である。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待っていた。
 広い門の下には、この男のほかに誰もいない。ただ、所々丹塗の剥はげた、大きな円柱に、蟋蟀が一匹とまっている。羅生門が、朱雀大路にある以上は、この男のほかにも、雨やみをする市女笠や揉烏帽子が、もう二三人はありそうなものである。それが、この男のほかには誰もいない。──

「俺、今なら羅生門に出てくる下人の気持ちがわかる気がする」

 急に自習になった国語の授業中、気だるそうにぱらぱらと現代文の教科書をめくりながら、不意に鈴木がそんなことを言った。

「まあ…、今日は雨降ってるしな」
「そういうことじゃねえよ」

 熊井が投げた少し的外れな反応を、さらりと交わして彼はそのまま目を閉じる。

 ええ、じゃあどういうことなんだよと、不満そうに熊井は返すが、鈴木は目を閉じたまま黙ってしまった。

 窓の向こうでは、ざあざあと音を立てて雨が降っている。

「雨の日って、頭が痛くなるんだよな」

 雨音に包まれた沈黙に耐えかねて、また熊井が口を開く。それは俺もよくあることだから、「わかる」と返す。

 さっきの鈴木の反応で、何となく居心地悪そうにしていた熊井は、とりあえず返事があったことで気を持ち直したらしく、嬉しそうに「だよな」と言って課題のプリントをやり始めた。

 それよりも、鈴木の言った「下人の気持ちがわかる」ってどういうことだろう。
 何となく見ていることがばれないように、視界の隅っこでこっそり鈴木の様子を伺う。

 そういや、鈴木のところは最近「お母さん」がやってきたと聞いた。

 離婚だ再婚だと、父さんがずっと忙しそうにしていて、とりあえず引越しが定期テストにかぶらないようにだけ、調整されたんだって話してくれたっけ。

 大人の世界にもいろいろあるように、俺たち「こども」の世界にもいろいろある。

 帰る場所はあるけれど、何となく気持ちのあてがなくて、雨に降り込められるような気持ちになる日も、ある。
 人生の大通りの真ん中で、ぼんやりと迷子になりつつある鈴木に、果たして俺は何と声をかけるべきか。

 ざあざあと、傘をさしても濡れそうな勢いで降り続ける雨。昨晩から降り出したのに、翌日になる今日この昼前になってもまだ止みそうにない。

 鈴木はいいやつだから、どれだけ困っても、きっと亡くなった人から髪の毛を抜くことはないだろうし、老婆を追い剥ぎすることもないだろう。

 その代わり、ずっと羅生門の下で座り込んでいそうな気がする。

「あ、鈴木が急に下人がどうとか言ったのは、この問題にモリオウガイが出てきたからか!」

 しばらく静かにプリントをしていた熊井が、急にまたちょっとずれた発言をする。

「ばか、羅生門はアクタガワだよ」

 ぼんやりしていた鈴木が、耐えきれずふふっと笑って突っ込むのを聞く。俺も、つられて笑う。

 そんな俺たちを見て、熊井は「あれえ」なんて笑っている。勉強はできないけれど、熊井も結局のところ、いいやつなんだよな。

 自習監督の先生の目を盗み、小さな軒先で雨宿りをしているくらい小さくなって、教室の中で三人してくすくすと笑う。

 俺たちくらいはせめて、「鈴木の行方は誰も知らない」なんてことにならないように、こいつの近くにいられたらいいと思った。


(1342文字)


=自分用メモ=
文学作品の名前を、作中に出すことをしてみたくなり、安直に有名な「羅生門」を拝借した。
三人いれば文殊の知恵。人生において、少なくとも自分以外に二人の人間と接点があれば、それなりに迷子になっても戻って来られるのではないかなという、希望も込めて。友人なんて、数じゃないのよ。君が心を許せると思える人が、一人でもいるなら、どんな雨の中でも恐れることなく進むといい。

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お盆明け、無理なく皆さまが日常に戻れますように。

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