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【ショートショート】 夕焼けの向こう側

 私の学校の近くには川がある。あと野原、少し行けば山。その山の近くには神社があって、コンビニは1件、他にはカフェというより喫茶店と呼んだ方がしっくりくるお店が1件。カラオケなんてないし、プリクラも電車に乗って3駅くらい行かないと撮れない。そんな、環境。

「ねえ、今日川原に行こうよ!」
「また始まった、フウお得意の『今日行こうよ』だ」
「しかも一昨日行ったところっていうね」
「せめて季節を考えてよ、真冬に川って。またお腹壊しちゃうよお」
「いや、田中はもう少しスカート伸ばそ、いろいろ見えそう」
「あ、ねえねえ現文の課題どこまでやるんだっけ」

 私がふとした思いつきで言ったことも、誰かのツッコミも何もかも、言葉の波が適当に流していく。それぞれ好き勝手にわいわいと話し続けているのは、いつものメンバーだ。仲の良いグループが6人にもなると、誰かしら席替えで教室の左後ろの方にいるので、いつも何となくその辺に集まっている。黒板を背にして、教室の左後ろがいつもの場所。昼休みのお昼を食べた後、何をするでもなくとりあえず一緒にいる、いつもの時間。

「いいじゃんー。一昨日は天気悪くて夕焼け見れなかったから、そのリベンジ!」
「ほう、夕焼けのリベンジ」
「何それかっこい」
「今日もそんな天気良くないじゃん、寒いよー?」
「あ、今日マフラー忘れたんだった、無理すぎ」
「うわー!5ページも課題出すとか鬼かよ!」
「ねー川原行こーよー」
「夕焼け見るなら、別に川じゃなくてもよくない?」
「それは思う」
「はーちゃん課題うつさせてよー」
「また?次は焼肉の約束だよ、大丈夫?」
「え、はーちゃんとヤマ、焼肉行くの?みんなで行こうよそんなの!」
「いまお金ないから、行くなら来週にしようよお」
「ねえー川原ー」

 いつもの時間。誰が何を言っても良くて、それぞれが自由で、誰の発言でも誰かが聞いてくれていて、必ずどこかから返事がくる、そんな時間。
 欲しいものなんて数え切れないくらいあったけど、それらは「本当に欲しいのか」と問われたら口をつぐんでしまうようなものばかりな気がする。何なら「いま」があればそれでいいし、できるだけこの時間が長く続けばいいなと思うようになった。
 私は、高校生だった。

「はーい、ということで今日は川原に行きまーす」
「何ー?絶対川原行くマンいるじゃん」
「もー仕方ないなー」
「何だかんだ結局行くやつー」
「ごめん、私バイトあるから30分で抜ける」
「30分だけでも行くのおもろ!」
 わいわい言いながら、午後の授業開始のチャイムを聞いて各自の席に戻る。気がつくと教壇に先生がいて、コラー早く座れーなんて言ってる。カーテンの隙間から、冬の午後のとろりとした光が教室に射し込む。私の席は黒板の位置から見ると、右の前方で窓の近い席だ。そこに座って窓から外を見ると、思ったより雲が速く流れていて、ああ風が強いんだなあなんて思いながらそっと深呼吸をする。そして、いつものように机の中からノートと教科書を出し、授業を受ける体裁を整える。
 私は、高校生だった。

 ノートの新しいページに、黒板の文字を写す。先生が不意に冗談を言って、みんながそれに笑ったりヤジを飛ばしながら、授業が進んでいく。私は、何だか急に、この時間の有限性に気がついてしまって、胸がいっぱいになった。
 窓の近くの席は、ひんやりと冷気がくる。何となく肌寒いなあなんて思いつつそっと、クラス全体を見回してみる。黙ってノートを取っている子、次の授業の内職をしている子、ノートの隅に落書きをしている子、眠そうにあくびを噛み締めている子、余計な話しをし過ぎて先生に注意される子…。卒業したら、仲の良い子もそこまででもない、いわゆるただのクラスメイトも、みんなみんなバラバラになることは確定していて、もう二度とこの教室でこんな風に過ごすことはない。ものすごく当たり前だけど、気づかずにいたことに思い至って何だか突然泣きそうになる。
 高校生の情緒のなんと不安定なことか!

 黒板を眺めて、先生の口癖に気を取られて、教科書に線を引いているうちに時間は流れ、授業が終わって「今日」が過ぎて行く。放課後は、何だかんだ言いながらも私が提案したように、いつものみんなで川原に行くことになった。

「あ、こないだ私が刺した棒、まだ生えてる!」
「何してんだ、ああ一昨日拾ってたやつね」
「いやああ!川の近くまじで寒い!」
「風そんなにないのに冷えるねえ」
「誰だよーこんなとこに来ようって言ったのー!」
「ジャージ履いてきた私天才じゃね」
「先生たちに見つかったらヤイヤイ言われるやつな」
「寒さ対策で、ちゃんと学校指定のもの履いて怒られる意味がわからん」
「それなー」

 みんな好き勝手言いながら、川原にあるベンチへ何となく向かう。最後尾を歩きながら、みんなの背を見る。私はこの時間がたまらなく好きだ。

「高校生サイコー」思わずちょっと大きめな声が出る。
「何だあいつ急に」
「よくわかんないけどサイコー!寒いー!」
「カイロ貸してあげようか」
「え、私も欲しい!」
「ああ今日バイトだるいなー」
「何分の電車で行くの?途中まで道同じだし一緒に帰ろ」

 振り返って私の言葉に反応したり、適当にノッてくれたり、気兼ねなく話し続ける彼女たちが好きだ。

「そういや、午後の授業フウなんであんなぼーっとしてたの」
「よく見てんなあ、私のこと大好きか」
「いやあんた私の前の席だから、黒板見ようとしたら視界に入るんだよ」
 なあんだ、と笑いながら授業中に考えていたことをポツポツと話す。気がつくと全員が真剣な顔をして私の話しを聞いていた。
「…そうだねえ、もうあっという間に卒業だねえ」
「そういや、なーやんは下宿先見つけたの?」
「ママの妹のお家にしばらく行く。仕事に慣れるまでは一人暮らしはお預け」
「それがいいよ、一気に一人になるの不安だよね。私大丈夫かな…。」
「仕方がない、私が夜な夜なビデオ通話をしてあげよう」
「私、ばあちゃんが出してくれるの初期費用だけだからバイト頑張んなきゃ」
「引越し手伝うよ」
「うん、私も手伝う」

 いろんな環境に生きる私たちは、これからまた更に「いろいろな環境」に進んでいく。この街を離れる子もいる。就職する子も、進学する子もいて、本当にそれぞれの人生を進む。将来のことなんて何もわからなくて、実際のところ不安だらけだ。

「あ、夕焼け」
 話し込んでいてすっかり本来の目的を忘れていた。気がつくと、全身が夕焼け色の中にいて、目の前に大きな夕日があった。
「まぶし」
「何だかんだいい感じに晴れたね」
「ほれ、見たかった夕焼けだぞ」
 私は頷いて、黙って夕焼けを見る。それにつられるように、みんなだんだん静かになって、6人でしばらく無言のまま夕焼けを見た。

「私、今日のこと忘れないと思う」
 不意に言いたくなって、私は言う。
「うん」
「忘れたくないね」
「そうだね」
「きれいー!」
「寒いけどね」

 もーそればっかり!いやでも寒いよ、わかる、と口々にまたみんな話し出す。時間の流れは不可逆で、どう足掻いても立ち止まれなくて、私たちは自動的に社会に押し出される。いつか、いつになるか全然見当はつかないけど、本当にいつかまたこのメンバーで、全員揃ってここで夕焼けをみたいなあと思った。
 寒かったけど、よく空気の澄んだ冬の夕焼けだった。

 私たちは、高校生だった。


(2993文字)


=自分用メモ=
会話を多めに入れて、登場人物それぞれを掘り下げ過ぎずに、どこまでキャラを立てて話しを進められるかという点に注力した。時間の不可逆さに気がつくのは、もう少し先かなあと思いつつ、「かつて高校生だった」自分を話しの中で探しながら書いた。

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