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【ショートショート】 さいごの魔法を使うとき

 いつからここにいたのか、それも定かではない。
 気がついたら俺は「ここ」にいて、「ここ」で生きていた。

 朝、行き来する車の音で目が覚める。
 アレがなかなか危険なものだということを知ったのは、数年前に仲間がぶつかって二度と動かなくなったのを見たときだろうか。

 どうせ今起き出しても、半端ものの俺がありつける食べ物はない。
 一度だけ、ぐっと前脚を伸ばしてからまた丸くなる。
 ブランコと人間たちが呼ぶものの、すぐ近くにある大きめな木の上。ここは少し床が斜めだが、姿をしっかり隠して休みたい俺にとって、人目につかないように全身入れるちょうどいいところだった。

 それによく陽が当たって、心地よい風が吹く。人間たちの騒がしさをそんなに気にしない俺は、天気のいい日は、一日まどろむことができるここをかなり気に入っていた。

 下にうっかり落ちることのないようにだけ、細心の注意を払ってまた目を閉じる。

 何しろ俺は、この世界を生きるのに目立ちすぎる。黒い毛皮を持つ仲間は、上手く闇に紛れて夜を渡れるのに、俺がいるだけでやたらと目を引く。
 白い毛皮は道の上で自由に生きる俺にとって、あまりありがたいものではなかった。

 黒やグレー、夜を上手く生きる暗い毛皮の中に、白ひとつ。
 あまりに目立ってしまうことで、俺が近くにいると人間に気づかれることも多かった。

 結果として、人目につかないようにのんびりやりたい仲間たちとは、少し距離を置いて生きることになった。

 親も兄弟もいたはずなのだけれど、あまり記憶にはない。
 何はともあれ、俺はここで独り、それなりに生きていて、そういう生活が当たり前だったので「そういうものだ」とよく理解していた。

 こうして、俺は俺の時間を生きていた。

 そんなある日、ついにやらかした。
 夜になって、何か食べるかといつものように伸びをして、下に降りようとした矢先、見事に下に転げ落ちた。

 咄嗟に体をバネにして、何とか身を守りはしたけれど、全身が痛くて上手く動けない。そのままブランコの近くで、動かず体中の痛みに耳を傾ける。

 年には勝てない…。そろそろ、あのお気に入りの場所を手放す日が近づいているのだろうか。
 そういえば、木に登るのもだんだん大変にはなってきたなあと、回らない頭を精一杯動かしてぼんやり考える。

 夜だったのは不幸中の幸いで、人間は近くにおらず、朦朧とする意識の中しばらくじっとしていた。

 どれくらいそうしていただろうか、突然ふわっと体が浮くような感覚がして、味わったことのない不思議な温度に包まれる──。

 ふと我に返ったとき俺を包んでいたのは、人間の腕だった。
 そこはとても暖かくて、ふわふわしていた。随分と長く生きてきたけれど、味わったことのない居心地の良さだった。

「どうしたの、きみ。大丈夫?」

 俺のことをそっと抱きしめ、生きた分だけ汚れた白い毛皮を気にする様子なく撫でながら、その人間はそう言う。

キィ…キィ…と、規則的なブランコの音を聞きつつ、上手く言えないけれど、ここに危険はないと何となく理解できた。これも年の功だろうか。

 とはいえ、生きてきて初めての感覚に緊張が走る。されるがままでいたいくらい心地よかったけれど、タイミングを見てパッとその場を離れた。

 脚はまだまだ痛むが、とりあえず走って距離を取り少し振り返る

 少し驚いたような顔が、俺を見ながら「動けるなら大丈夫だね」と言ったのが聞こえた。

 それが、その人間と俺の出会いだった。

▪︎

 あの夜起こした俺の大失態は、俺の生活を少しずつ変えた。

 思ったより体がダメージを受けていて、足が痛むため、何をするにもこれまでより時間が掛かるようになった。

 せっかく見つけた食べ物でも、若いやつらに追い立てられてありつけないことが増えた。少し前なら、負けることなんてなかったのに。

 いのちというものには、どうやら順番があるらしい。
 「順番に駆け抜けて、帰るべきところへ帰っていくんだよ」と、そんなようなことを、公園で出会った爺さん猫が話していたことを突然思い出す。

 そうか、そうであるならそろそろ俺の順番か。

 これまで以上に人目を避けて、夜でもできるだけ暗い植木たちの中に紛れながら、世界の端っこで息をして過ごした。

 今いる植え込みは、公園内の少し丘になっているところにあるので、木の上には劣るけれど周りを見渡すことができる。
 自分の身を守るために今の自分ができる、ギリギリの知恵だった。

 そのままごろりと地べたに転がって、何の気なしに道路へ目をやったとき、たまたま見たことのある人間を見かけた。

 見た瞬間に、あいつだとわかった。
 大した起伏のない、俺の人生で、唯一関わった人間だ。

 見るからに疲れていて、少し驚いた。俺が出会った頃は、もう少し明るい顔をしていたように思うのだが…人間を生きるのにも、それなりに苦労があるのだろうなと勝手に思う。

 丘の植え込みの隙間から、その姿をそっと眺める。

 そのとき、ふとまた爺さん猫と話したことを思い出す。

「──順番がくる頃、月の綺麗な夜だったら最期に魔法が使えるらしいぞ」
「何、魔法って。胡散臭いな」
「きちんと生ききったご褒美に、一つ願い事が叶うんだと」
「へえー。爺さんは何を願うの」
「さあて、何にしようかを考えているうちに、最近眠くなってしまってね」

 はははと笑う爺さんの顔は思い出せるのに、その後、爺さん猫がいついなくなったのかは思い出せないことに気がついて、俺は少し寂しく思った。

 順番とは、そういうものらしい。

 そのまま湿っぽくなる思考を、少し強引にスライドさせる。さて、最期の魔法とな。
 何をしてやろうか、腹いっぱい何かを食べるなんてことも叶うのだろうか。

 そんなことを考え始めた俺の前を、あの人間が通り過ぎていく。

 月明かりの中とぼとぼ歩くその顔が、濡れているような気がして、ハッとした。

 ──次の瞬間、俺は「人間」になっていて、ブランコを漕いでいた。
 あの日、あの人間が俺を見つけたブランコだ。

 規則的な音を立てるブランコに揺られながら、こんな感じか、なかなか悪くないなと思う。
 小さな人間たちが、並んでまで乗りたがるわけが少しだけわかった気がした。

 顔を上げると、そこにあの人がいた。
 涙に濡れたその目が、俺を見る。

 俺は思わず、「ブランコですか。どうぞ」と声をかけた。


(2533文字)


=自分用メモ=
先週書いたものの、尻切れ蜻蛉具合がどうにも気になったので、猫側としてフォローしてまとめた。
猫視点でラストの見守るところまで描こうかとも思ったのだけれど、それは何となく蛇足な気がして読み手の想像に投げる形をとった。

また、タイトルも最初は「最期」と漢字にしていたが、ちょっとあからさまだなと思ったのでひらがなにした。
どんないのちにも、最期くらい使える魔法の一つや二つあったらいいなあ…と、願いを込めて。


前編にあたる話はこちら↓


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