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【ショートショート】 流れ星のゆくところ

「きみ、もう少し静かに歩きなさい。さもないと、せっかくここまでたどり着いた星たちが、驚いて散ってしまいますよ。そうそう、上手。」

 ざあん…ざあん…と、波は一定の律動で行ったり来たりしています。その音に耳を傾け、その動きに足先を浸しながら、私は姉さまの言葉を胸に、よりいっそう気をつけつつ波打ち際を進みます。
 姉さまは波の上を漂うように、ゆったりと私の少し先を美しく進んでいきます。何となく、その背に声をかけたくなって、私は思いついたことをそのまま口にしました。

「今夜の波は何だか冷たいですね」
「そうですね。きっとここへ来るまでに、たくさん悲しんできた星が多いのでしょう」
 姉さまは長いまつ毛の奥にあるその瞳を、波間に散らばる星々へ向けて、そっと答えます。

「悲しみは冷たいものなのですか?」
「どうでしょう。温度で言うと、あたたかい悲しみはなかなか無いものだろうから…これだけ冷たいのだし、きっと多くの悲しみをくぐってきたんじゃないかしら」

 私はなるほどなと思い、姉さまは何でも知っているなあと感心して、少し遠くの方を見ました。

 ゆらりゆらりと、月が星座の間を漂って、そこら中の水面に夜の灯りを届けています。その光景があまりに綺麗で、私はゆっくりと瞬きをして、そのきらめきを胸に留めようと努めます。悲しみは美しいものなのかもしれない、と思いついて、何だか少し嬉しく感じました。

「冷たすぎると、星はどんどん冷えてかたまって、いろんなものに刺さってしまうから、早めにあたたかくなると良いのだけど」
 姉さまは、私の前を歩み続けながら、まるで独り言のように呟きます。

「どうしたらあたたかくなるのでしょう。何かできることはありますか?」
 私の問いに、姉さまは困ったように少し黙って、しばらく何か考えてからこう言いました。

「何事も順番があります。悲しいことがあれば、嬉しいことがあって、悔しいことがあれば、認められることがあって、楽しいことがあれば、切ないことがあって…。万事この波のように、寄せてはかえすものです」

 私はほうと息を吐き、少し立ち止まりました。そのままそっと視線を上げると、そこには満天の夜空が広がっていて、不意に自分の小ささに気がつき怖くなりました。
 どこかで新しい芽の出る匂いがしたと思えば、流れ星がすっと夜空に線を引きます。どこかで花が枯れその花びらが落ちる音がして、またすっと夜空に線が引かれます。そういったことが、ここでは刻一刻と繰り返されているのです。

「疲れましたか」
 姉さまは、立ち止まった私に気がついたとみえて、自身も歩みを止め、心配そうに私の方を振り返ります。眩しいくらいの月明かりと雲ひとつない星空を背負い、私を見る姉さまのその真っ直ぐな眼差しに、全てを見透かされたような気持ちになって、はっとしてその顔を見つめます。嘘をつく必要はないのだと思った矢先、唇から言葉がこぼれます。

「…ええ、少しだけ」
 それを聞いた姉さまは、ふわりと微笑んで、少し後ろにいた私の元まで戻ってきます。それがさも当たり前、と言わんばかりのようすだったので、私は気兼ねなくその好意に甘えることにしました。
 私の隣にきた姉さまは、躊躇なくそっと私の手を握り、深く息を吸い背を伸ばして、夜空を見上げます。つられるように、私も空を見上げます。

「ゆっくり参りましょう、きっと夜はもうしばらく続きます。立ち止まっても良いですよ、私がそばにいますから」

 さらりさらりと、風が髪を撫でて耳の横を過ぎていきます。ついこの前まで、首の後ろに感じていた風が、気がつくと感じられなくなったなとふと気がつきました。

「姉さま、私髪の毛が伸びたように思います」
「髪が伸びるということは、生きている証ですね」

 その言葉で何かを動かされたように、突然胸がいっぱいになって、姉さまの手を握ったままそっと目を閉じました。そのまま深く息をすると、目尻から涙が一粒溢れました。

 手を繋ぎ、波打ち際に立つ二人の頭上を、また一つ流れ星がすっと駆けていきました。

(1655文字)


=自分用メモ=
少しお疲れに見える、大切な友人を想って書いたもの。
あわせて「カタカナを使わない」という縛りをつけて、書いてみたいと思っていた「不思議な話」を書いた。含みは大いに持たせつつ、全体的に抽象的で、読み手の想像力に委ねる部分の多い作品になったと思う。こんな場所があったら行ってみたいなあという思いも込めつつ…。

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