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【ショートショート】 ブランコの隣人

 その日、家の近くの公園まで帰ってきた頃には、二十三時を過ぎていた。

 昼間の賑やかさを忘れたかのように、しんと静まり返った夜の公園。
 大通りからは一本ずれた道にあるため、車もそんなに通らないし、時間も時間なので人通りもほぼない。
 普段は猫の多い公園なのだが、もうその姿も一匹として見当たらない。

 ぼんやり歩く道すがら、思わず公園の中を見たのは、キイキイと規則的な懐かしい音が聞こえたからだった。

 低めの月明かりが灯る、夜の闇の中で誰かがブランコを漕いでいる──。

 うまく言えないけれど、その様子が何だか非現実的で妙に惹かれた。

 疲れは思考を鈍化させる。あまり深く考えることなく、私は気の向くままに公園へ足を踏み入れた。

 最近あった部署替えの都合で、これまでより人が減り、そこに加えて頼りにしていた先輩が、体調の都合のため休職した。元々そんなに要領の良くない私は、増えるばかりの仕事を前に、ここしばらく残業が続いている。

 しばらくなんて言いつつ、その「しばらく」がいつまで続くかの目処は立っていない。困惑と共に、途方もない現状を目の当たりにして、油断をするといつだって何とも言えない暗い気持ちになる。

 一週間を無理やり乗り切って、際限なく溢れ出てくる仕事を強引に終わらせ、日が変わるまでに帰宅しようと電車に飛び乗る。

 それが、ここ最近の私の生活だった。
 行ったり来たりを繰り返すブランコに近づき、ぼんやり見ながらそんなことを考える。

 不意にその動きが止まり、ブランコを漕いでいた人物と目が合う。全身白い服を着て、月明かりの下にいるものだから何だか発光しているような奇妙な雰囲気を身に纏っていた。

 改めて思うと、夜中にブランコに乗っている人も不審だし、そんな人に近寄る私も十分不審だ。
 それでもそのときの私は、何も「おかしい」とは思わなかった。

「えっ…と」
 気まずさに気づき、我に返って慌てて言葉を紡ごうとするが、何も出てこない。

「ブランコですか。どうぞ」

 どうしたものかと立ちすくむ私に、相手は何も動じることなく、隣の空いているブランコを手で「どうぞ」と示す。

 会釈をして、促されるままに腰をかけた。

 見たところ、おおよそ学生くらいだろうか。私よりはきっと若いのだろうけれど、それ以上の検討はつかない。
 女性かなと思ったけれど、手の大きさを見ると男性かもしれない。

 何もかもが曖昧で、それでもそれらはあまり大した問題ではないように思う。
 ブランコの揺らぎに合わせてゆっくり息をすることで、ざわざわしていた気持ちが、ゆっくり凪いでいくのを実感する。

 二人は無言のまま、ブランコに揺られる。
 あっという間に不思議な空間が完成したが、居心地は少しも悪くない。

「月が綺麗な夜は、ブランコに乗りたくなるんです」

 しばらくの後、彼とも彼女ともつかないその人は、突然それだけ述べる。

「…な、なるほど」
 急に話しかけられたものだから、驚きのあまり言葉に詰まってしまう。それでもその人は、こちらを一切気にしている様子はない。

 何か言わなくてはいけないかと身構えたけれど、相手を見るにその必要がないと感じたので、ただ静かに揺られ続ける。

 ただそれだけの時間が、ゆっくりと流れていく。
 何も考えずに、ぼんやり夜空を見る。

 冬の月はもう随分と低い。おかげで、上を見上げてじっと目を凝らすと、思っていたより星が見える。

 私がブランコに乗っていることで、夜空は近づいたり離れたりする。それを、無心で見る。頭を空っぽにして思い切りぼーっとすると、いろいろなことが自分からは遠いことに思えてくる。

 どれくらいそうしていただろうか。
 ふと寒さに気がつき、横に目をやると、タイミングよくこちらを向いた「隣人」のきらりと闇に光る、何とも言い難い綺麗な色の瞳と目が合う。
 私はこの目を知っている気がするのだけど、どこかで会ったことがあっただろうか。

「少しは落ち着きましたか」
「…え?」
「あなた、ここにきたとき泣いていたから」

 ぼんやりした頭を振って、慌てて頬を触ると、確かにそこは濡れていて無自覚な自分の涙に驚かされた。

「…すみません。大丈夫です、だいぶ落ち着いたと思います」

 それはよかった、と笑って、その人は静かに言葉を続けた。
「お疲れのようですね。今日はもう遅いし、そろそろお互い帰りましょうか」

 言われて時計を見ると、もう間も無く今日が終わろうとしている…。ふと気がつくと、公園にきたときに比べて、随分と気持ちが落ち着きすっきりした気がする。

「明日はお休みですか」
「あ、はい」
「じゃあ今日はこれから、帰ってゆっくりお風呂に入って、あたたかくして休みましょう」

 優しくそう言われ、素直にそれに従うことにする。
 よく冷えた冬の夜の中、何の因果かブランコに揺られる二人の人間を客観視して少し楽しくなる。

「この辺りにお住まいなんですか」
 勢いに任せて、唐突に不躾なことを聞いてしまったけれど、相手は頓着せず「はい」と頷く。それなら、きっとまた会える。

 深呼吸をして、ブランコから立ち上がる。

「あの、うまく言えないんですけど…優しい時間をありがとうございました」

 せめてものつもりで頭を下げ、気持ちを切り替えて顔を上げる。そうだ、明日は土曜日。仕事のことを少し忘れて、しっかり休もう。ここからは「私の時間」だ。

 とんでもないですと優しく笑うその人に御礼を言い、私はそのまま家に向かって歩き出す。

 数メートル歩いてから、せめて名前だけでも聞くべきかと思い立ち振り返った。

 しかし、そこにはもう誰もいない。遅くまで付き合わせてしまったと、少し反省をして、いつかまた会えるといいなと今夜の不思議な出会いを胸にしまった。

 そんな私を、白い猫がそっと見つめているとも知らずに。


(2367文字)


=自分用メモ=
またやってしまった、終わりが雑なとっ散らかりストーリー。2000字overまで粘ったが、この状態のままこれを書き進めても、この話の中だけで伏線を回収し綺麗にまとめることは難しいと踏んで、一旦切り上げることにした!
可能なら来週にでも「逆サイド」の話を書いて、きちんと話の補填をしたいところ…。猫と私の関係まで書ききれなかったという大反省会。

反省から生まれた続編(1/28の記事)はこちら↓

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