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「期待に応える」から「役に立つ」へ〜この10年間で変わったこと〜

会社員になって23年。今勤めている会社に入社して22年となります。

私は社会人というのはどういうものなのか、あまり深く考えていませんでした。

いちばん社会人生活で楽観視していたのは「試験がない」ということくらいです。

とにかく入試や中間、期末、前期、後期試験がないという社会人の世界を、天国ではないかと思っていたくらいです。

しかしこの23年は仕事中心の生活でした。最近では「社畜」という言い方もありますが、側からみればそれに近かったかもしれません。

本人は「社畜」だったとつゆにも思っていませんけど…。

プライベートでは結婚、我が子の誕生など、一大イベントもありました。それでも仕事中心だったのは変わりません。

しかし10年くらい前から少しずつ意識が変わり、直近3年は仕事とプライベートが50:50になったと感じています。

10年前のきっかけは震災、3年前のきっかけは母の死です。

この変化は「自分はどのように見られているか」という意識に関わっています。

わたしは人の目を気にするタイプです。ですので、どのように見られているかということを最優先に考えてしまいがちです。

同時に人の言動に非常に敏感です。些細な一言を気にするし、自分に話していない会話も聞こえてきます。いわゆる地獄耳ですね。やなヤツ〜!

仕事は「人の期待に応える」ことだと思っていました。だから人の目を気にする面を活かすことができました。

ただ、人の期待というのは「幻想」なのではないかとあるとき気づきました。

「きっとこの人はこんなことを期待しているだろう」という勝手な考えをもとに行動するわけです。あくまで想像の世界。

本当かもしれないが幻想かもしれない。

しかも主体が人、つまり他人で、自分は客体という考え方です。ちょっと従属的、依存的な考え方です。

それよりも自ら「役に立つ」ことを仕事と考えようと思いました。これなら自分が「役に立つ」と思うことをするだけです。主人公は自分です。

自分のやりたいように役に立とう、そう思い直しました。

きっかけは、2011年のあの震災です。自分にできることはあるのだろうか?自分はこの未曾有の状況でどのように役に立つ存在なのか?

そんなことを深く考える機会だったし、何か行動しないといけないと感じました。

こうして人の目を気にすることをこの時思い切ってやめました。もっと自分が主体となるんだ、と。

あえて人の行動を見て見ないふりをしたり、地獄耳をふさぎました。

でも、長年のクセでもあるし自分の性格でもあるため、なかなかうまくいきません。

もしかしたら人に対する気遣いがなくなるかもしれない、事前に察知できなくなるかもしれない、とも思いました。

やっぱり周囲に注意を払った方がいいんじゃないか、あいつは自分勝手と思われていないだろうか、いや、そう考えるのはやめよう、この繰返しです。

こんな中、母が亡くなりました。この時思ったのは「人はいつか死ぬ」ということです。もっと言うと「自分もいつか死ぬ」ことに気づいたわけです。

身近な人が亡くなるとイヤというほど「死」というものを意識します。

そして、徐々に迷うことがなくなりました。それは自分の生に対する焦りから来ています。

もちろん完全には人の目を気にすることをぬぐいきれないでいますが、もう迷っている時間はありません。

自分パフォーマンスを最大限活かすには、自分がいつも楽しく、陽気で、余裕のある状態でいる必要があります。

誰だってそうですのね。

そのような状況を作り出していくことが、私の役割、そんな風に思っています。

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