「大したことない」は思いやりを遠ざけるワナ
街を歩いていて、すれ違いざまに身体が触れ合うことってありますよね。
荷物がちょっと当たっちゃったとかも含めて。
そういうときって「あっ、すいません」と言いませんか?
この「あっ、すいません」という言葉があるかないかでずいぶん違うように思います。
この一言は「配慮」です。
すれ違いですから、このまま生き別れる!?ので今後の人間関係は成立しません。
そういう関係性において「あっ、すいません」を言わなくても大きな支障はありません。
しかしそれは「配慮」を捨てたも同然です。
どんな相手に対しても「思いやり」を持って接するのが人間関係には不可欠だし、むしろ自然だと思っています。
自分一人で生きていくことができない以上、配慮するのは当然です。
「配慮」は思いやりの一つですが、こうした気持ちを忘れてはいけないと思っています。
ちょっとぶつかっただけ、触れ合ったくらいならケガもしないし大したことはありません。
だからといって「配慮」をしなくてもいい、捨ててもいいわけではないのです。
「大したことない」という理由で「思いやり」にフタをしていたら、そのうちなくなってしまうでしょう。
そして「大したことない」範囲がどんどん膨らんでいきます。もう止められません。
そもそも「大したことない」かどうかは相手が決めることです。こちらが決めることではありません。
「大したことない」だろうと思うことはあります。「きっとそうだろう」と。
しかし「きっとそうだろう」というのは甘えです。ちょっと触れ合ったときの「きっとそうだろう」は、もっと一大事でも「きっとそうだろう」となりかねません。
「思いやりばかりを考えていたら、何もできなくなる」
そんなことはありません。思いやりの中で何ができるかというのは大きな挑戦だし、結構いろいろなことができます。
それこそ「大したことない」のです。この場合は自分の問題ですから自分で「大したことない」と判断するだけです。
そんなふうに自分に対して「いましめ」を込めて書いてみました。
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