分かち合いの大切さ
普段あまり話すことのない人と話すと、その人の知らなかった部分に気づいたり、共感できる部分を持っていたりにすることに気づくことができます。
わたしには年に1回しか会えない友人がいます。彼に会うのはいつも1年ぶり。
学生時代に知り合ったので、かれこれ20年来の関係。年齢は1つ違い。卒業後は別々の道に進み、住んでる場所もまるで違うのでなかなか会えないんですね。
性格も全然違うし、趣味も違う。特に共通項があるわけでもない。腐れ縁なのかもしれません。
会って話す内容は、学生時代の想い出話、かと思いきや、現在の状況報告や仕事の話がメイン。仕事も業界は違います。
でも不思議なことに、毎年毎年経験していることは似てるんです。お客さんのクレーム処理で苦労していたり、破天荒な上司に振り回されたり。
最近会ったときは、昔みたいに言いたい放題言えなくなったね、もう毒吐けないね、とか…。
感じていること、考えていることが同じなんでしょうか?なんか、共感し合えるんですね。
「そうだよね、そうなんだよね!」
ってなるんですね。まさに分かち合いです。
またこの前は、同じ会社にいながらじっくり話すことのない人と二人だけで話す機会がありました。
立場も違うし仕事の畑も違う。そういう人って会社にはいっぱいいますよね。
あまり会社内でそのような人たちと話すことが多い方ではないのですし、積極的に話したいと思っているわけではないので、なんかきっかけがないと話しません。
このときは、たまたま二人きりになり、時間が空いて、とくにこの後もお互い用事が入ってない、という偶然が重なったんですね。
話してみると、その人の知らない一面がわかり、へぇー、あのとき実はそうだったんだ!そんなこと考えてたんだ!って意外なことがわかりました。
この人は部下の失敗をかぶることのできる人なんだ、すごいなぁ、とかですね。
目からウロコとは、まさにこういうことなんですね。これも分かち合い。
普段話す人ではないですから、わたしも根掘り葉掘り聞いてしまったというのもあるんですが、相手も負けず劣らず根掘り葉掘り!なかなか楽しいひと時になりましたし、なんか安心するんです。
しかしそのような機会が必ずしも恵まれていない上に、現在のような難しいご時世ですと、ますます機会がありません。
だいたい、お酒を飲みながら、とか、ご飯食べながら話しましょうか、っていうシチュエーションですから。業務時間中とかではなかなか深い話にはなりません。
お互い相手のために時間を割いている、そういう機会でないとじっくり話せません。
しかしそのような機会こそ、新たな発見や考え方、奥深さを知ることができると思い知らされました。
そして、このような機会があると、自分は孤独じゃなぁんだなって、思えるんです。
相手の思いを知り、自分の思いを伝え、お互い共感し分かち合う。そこで気づくのが孤独ではないということ。
人それぞれいろいろあって、それを背負いながら生きている。自分だけじゃない、誰でもそうなんだと。
そんな話を細かく話し合うわけじゃないけど、なんとなく同じようなことで苦労してるんだな、努力してるんだな、ということがわかるだけでも十分です。
無理にそんな機会を作るまでもないですが、まったくないというのも寂しいもの。たまには分かち合いの機会があるといいですね。
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