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イデオロギーにこだわらず、沈む夕陽を見て思うせつなさを大切に‼️

「イデオロギーなんかにこだわらず、沈む夕陽を見て思う切なさを大事にできる人間になれ!」

とは恩師の言葉。覚えてるもんですね、もう30年は前の言葉です。

ことあるごとにこの言葉が引っかかって、割と忠実に守っています。

なのでふわふわした人間になってしまった感があります。「こだわりのある男」って、カッコいいですからね。

そのかわりいつでもニュートラルポジションで、前にも後ろにも、加速も減速も自由自在に生きています。悩みは尽きませんが…。

主義主張にこだわらない生き方

イデオロギーなんていうとちょっと難しいけど、いわゆる主義主張のこと。

政治的、社会的立場という意味もあるけど、単純に「○○主義」「○○派」とかにこだわらない、という意味です。

わたしは○○はやらない主義、ゼッタイに○○です!とかですね。

ゼッタイこう!って思っていても、そうならないこともあるし、ゼッタイがゼッタイじゃないことなんて山ほどあります。

しかも、自分の考えなんてその時々で移ろいやすいもの。決めつけてしまうことはリスキーです。

特に一般的にネガティブと思われていることやマイノリティに対するゼッタイ、決めつけ。

例えば一浪したら落ちこぼれ、留年したら人生終わり、とかです。このご時世だと数々の偏見があちこちにあります、アレです。

そうやって決めつけちゃうことは自分の選択肢を狭めてしまうと同時に、そういう立場の人にマウントしたりちょっと優越感に浸ったりします。

これは「知らず知らずに」です。つまらない主義主張は思いやりに欠ける行為でもあるのです。

さらに、選択しようにもできないことだってある。留年したら人生の終わりとか言って、図らずも留年することだってあります。

決めつけちゃうとたいへんな絶望感、挫折感で立ち直れないんです。自分の主義主張で自分が傷つくという始末。

正直浪人や留年なんてそのときは一大事だけど、その後の社会人生活になるともっと厳しい修羅場が待っている。大したことはないのです。

でも、ゼッタイなんて思わずに、ニュートラルにその場その場でいいと思うことを選択していけば、絶望、挫折せずに切り抜けることもあります。

切り抜けなかったとしても、絶望、挫折をする可能性は低い。

「日和見主義」ではありません。

イデオロギーにこだわらないのは処世術でもありますが、つまらない争いを招かない、自分を含め人を無闇に傷つけないためです。

感情を大切にする

沈む夕日を見て思う切なさというのは、感傷的なフレーズでもあります。

子供のときに友だちと外で遊んで、だんだん暗くなってきたときにふと見上げた夕陽。

あぁ、もう楽しい時間はおしまい。家に帰って宿題しなきゃ。

あぁ、こんな時間まで遊んじゃった。帰ったら母さんに怒られちゃう。

こんな感情でしょうか?

あるいは試験勉強しなきゃ、あ、でも漫画読んじゃお!ってサボってたらだんだん部屋が暗くなってふと窓から覗く夕陽を見て、

あぁ、今日も何もせず1日が終わってしまった。何やってるんだ!

あぁ、日が高いうちにやっておけばよかった。今日も徹夜じゃないか!

こんな感情?

全部です。童心に戻ったとき抱いた感情、何もできずに1日が終わる後悔、大人になっても夕陽を見て思う感情、すべて。

やるせなさ、自分の至らなさ、存在の小ささ、あふれる感謝、希望、こうした感情を大事にしなさい、ということです。

忙しさにかまけて感情をないがしろにしてしまいがちな毎日。次から次へと起こる問題を無感情で処理する毎日。

少しでもいいから無感情から開放される時間を持ちなさい、ということですね。

つけ加えるなら、そうした感情は他者に移ります。無感情は他者には響きません。

夕陽を見て思う自分のちっぽけな存在と同時に、この夕陽を見ているのは自分だけではない、一人ではないんだという感情も芽生えるはず。

口に出していうことはないかもしれないけど、心の奥底にある人間共通の感情を思い起こすのがいいと思います。

いつの日か叶うことができるように

かと言って自分がそういう人間かというと決してそんなことはない!

「イデオロギーなんかにこだわらず、沈む夕陽を見て思う切なさを大事にできる人間になれ!」

この言葉がいつの日か実現できるようになりたい、そう願ってやみません。

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