勝つのが当たり前!?
季節は1月、プロ野球は完全にオフシーズン。
選手が来シーズンに向け自主トレを開始する、球春の足音が少しずつ聞こえ始める希望が芽生える時。
ならばこの機会にわたしのプロ野球ファン歴をもって、自己紹介をさせていただきたい!ということで、今回は第7回、もしよかったらお付き合いください!
前回の「すっかりパ・リーグファンに染まってしまう」もどうぞ。
プロ野球ファンとは何なのか?ライオンズファンとは何なのか?そんなことをその後考えてしまう出来事がありました。
時は1989年。
この頃の西武ライオンズはすっかり常勝軍団として定着し「勝って当たり前」の球団となっていました。
ライオンズファンであるわたしも、もはや勝って当然でしょ!?という感覚でした。
巨人が負けると翌日不機嫌なおじさんのように…。まだ高校生でしたが。
ダブルヘッダーというと近鉄v.s.ロッテの「川崎劇場」が有名ですが、その翌年1989年に近鉄と西武で繰り広げられた10.12対決をご存じでしょうか?
このダブルヘッダーで西武ライオンズは1勝さえすれば、ほぼ優勝を手中にできるというもの。
このときわたしは受験生。この戦いを翌年の受験の前哨戦と位置づけていたりしました。当時はよく西武ライオンズの勝利と自分の身に起きることを結びつけるクセがあったものです。
しかし対戦チームである近鉄バファローズには不穏な「アノオトコ」の存在が大きくなっていました。したがってなんとなくイヤな予感。
そもそも、受験勉強はおろそかとなっていましたが…。
ダブルヘッダー1戦目は満を持してリリーフ登板した渡辺久信投手が、アノオトコ、そう、ブライアント選手に決勝ホームランを打たれて負けました。これ、3打席連続のホームラン。
そして2戦目、ライオンズはもう投手がおらず、シュートが武器の西本投手(←同じくシュートを武器にしていた巨人の西本投手とは違う)、高山投手でなんとか耐えていました。
そして打撃陣で一人気を吐いていたのが清原和博選手。あのときの清原選手は、勝負強さ、頼もしさ抜群でした。
孤軍奮闘とも言うべきか、2戦目のレフトスタンドに叩き込んだソロホームラン、喜びもせず足早にダイヤモンドを一周する姿は今でも忘れられない。
ところが、やはり最後はアノオトコ、ブライアント選手にやられて敗戦。
このときわが未来を暗示し、悲鳴、絶叫、そして絶望を感じたことをよく覚えています。
案の定、翌年の受験は「サクラチル」となりました…。
ちなみにこのシーズンは近鉄バファローズがパ・リーグ覇者に。
ところがこの年の日本シリーズは加藤哲郎投手のアノ発言後(実際はしてないらしい)3連勝からの4連敗で巨人に日本一を譲っている。
アノ発言より「ブライアントよ、なぜ日本シリーズで打たないのか?」とわたしは言いたい。
この年は負けましたがその後も西武ライオンズは強かった。
西武ライオンズを応援するのは地元の沿線に新しく野球チームが誕生したのがきっかけでした。
しかし、このころは「西武ライオンズが勝つから応援している」という感覚になっていたのかもしれません。勝つのが当たり前だから応援しているんだ、負けるなんてあり得ない!と。
もはや西武ライオンズは勝利の神様で、ライオンズにあやかって自分の行く末を結びつけ、少し大げさですが自分の人生を賭けていたところもありました。
ファンはファンなんですが、今考えるとちょっと過激な方向に行っていた気がします。
そしてこのあと大きな転機を迎えます。
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最後までお読みいただきありがとうございます‼️
次回は「ひと時の別れ、新たな出会い」をお届けします。
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