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100点が好きですか?

こんばんは、Mihoです。
月末の学会発表まで一刻の猶予もないのに、新しく色々と超特急のお仕事を頼まれて、嬉しいけどめちゃくちゃ忙しくてえらいこっちゃ!です😅💦
いやでもこれもまた最善。
頑張るぞ~パワー!ヤー!!💥💥💥💪💪💪

みなさんは100点が好きですか?
わたしはがっつり勉強するのがイヤなので、全部そこそこを狙う子どもでした😆

わたしが受け持っている子どもたちはみんな100点が好きです。
具体的には、セラピーのなかでプリントをすることがありますが、答え合わせをしているときにバツをつけると、慌ててその場で書き直すんです😁

重めの知的障害がありプリントをするだけでも大変な子は、直したことも含めて丸をあげてもいいのですが、普通学級に所属しているくらいの能力の子だと少し迷います。

というのも、学んで成長していこうと思えば、自分の現状を確認することが必要不可欠だからです。

「勉強」を簡単に述べると

テストを受ける

〇は定着しているところ
×はまだ身についていないところ
〇の部分は頑張れた、勉強が役立った
×の部分を意識して勉強しよう
と確認する

現状を踏まえて行動する

×の部分もできるようになる
かもしれないしできないままかもしれないが別のうまい方法を見つける

という繰り返しのプロセスです。
このとき、テストの結果はあくまでも状態確認だし、自分の実力なので、別に激しく傷つく必要はまったくありません。

でも、「全部〇がつくこと」「100点をとること」が目的になっている子は、確認のプロセスで×がつくことが我慢できなかったり、傷ついてしまいます。

そうすると、自分の状態が見えなくなってしまったり、アドバイスをうまく聞けなかったりして(たとえば「ここをできるようになるといいね」を「あなたはできていない、ダメなやつだ!」と責められたと感じてしまうとか)、自分の弱さをどうやってうまく乗り切っていくかという工夫の視点などが育たず、成長することがむずかしくなってしまいます。

これはいわゆる「完璧主義」と呼ばれる人にありがちなパターンです。
自分にとって「完璧」になるまで頑張るというガッツが出せるならともかく(これも燃え尽きてしまう人もいますが…)、「完璧にできないならやらない」となってしまうと、なかなか困ったことになります。
(ちなみに、このような「完璧さ」への過度なこだわりは、極端思考や白黒思考と呼ばれ、認知的な偏りの1つで、トレーニングによって和らげることができます。)

でも、わたしたちは誰も最初から100点は取れないし、がんばっても100点はなかなか取れないかもしれないし、社会に出たらこの選択が100点かどうか、何が正解かなんてそもそも誰にもわからなくなります😅

だから100点を取り続けることにこだわるよりも、「失敗しちゃったな」と思っても一晩落ち込んだら復活できる強さとか、困ったときに「わかりません」と人に訊ねられる率直さとか、「間違い」という経験から学ぶ賢さとか、60点と感じる自分を励まして根気強く付き合っていく自分への愛情とか、一歩一歩進んでいくのんびりさとか……そういうものを身につける努力をした方がずっと生きやすくなるのではないでしょうか。
しんどいプロセスですけどね、誰だって楽に早く100点欲しいもん。

でもわたし自身、もっともっと根気強く自分を律していかないといけないと思いますし、このプロセスに寄り添っていきたいと思います。

結果はともかく、がんばっている今の自分に花丸をあげましょうね💮💮💮

ここまで読んでいただいてありがとうございました!


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