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母の自殺未遂①

私が中学2年生の頃

母が突然、自殺を図った




当時、私は部活に明け暮れていて
家族のこと、両親のことなんて

関心がないし考えたこともない


どこにでもいる
普通の年頃の女の子だったと思う。





両親は、昔から仲が良かった。


私や兄の前で喧嘩する姿を
見せたことないほど
家の中でも外でも円満なおしどり夫婦だった。



そんな両親が 私の憧れで、自慢だった。


兄もまた、そんな両親との間に
産まれたのが幸運だと感じていたと思う。


家に帰れば優しい両親が揃っていて、
テーブルに並ぶ沢山の温かい食事

リビングに響く穏やかな笑い声

少し広めのお風呂とフカフカなベッド


何不自由ない生活だったと

今ならとても有り難く幸せだと思えた。



今思い返しても、そのときまでは
言い合いや喧嘩、人間関係のもつれ
それこそ、社会の闇なんて
無縁の人生だった。





そんな幸せなある日、

夕方で薄暗くなった部活終わりに帰宅すると
家の前に一台の救急車が停まっていた。


家の中から担架で運ばれていくのは
ピクリともしない母だったのだ。



ゾッとした


家に入ると、父が呆然と立っていた。


両手には真っ赤な血がついており

その血に吸い取られたかのように

青ざめた様子の父。


「ちとせ、落ち着いて聞けよ
母さんが風呂場で手首を切った」



この言葉と光景は14年経った今でも
脳裏をよぎる恐怖だ。


子供の私には父が母を殺そうとしたのか?
母は、死んでしまったのか…
何故?何故?何故こんなことに?

と、疑問しか浮かばず、ただ私は
赤く染った浴槽と点々と滴る
玄関に続く黒い血を眺めているしかなかった。




幸いにも、
母は輸血をし大事には至らなかったが
OD(過量服薬)をしていたため
しばらく生死を彷徨い長期入院することになる。



後日、改めて父が                母の揃わない空虚なリビングに
兄と私を呼び出した。


「母さんは鬱という病気になった。
死にたいという気持ちが強い。
今は何をするか分からないから
精神科に入院させることにした。
病気については自分たちで調べなさい。」

とだけ伝えられ。


中2の私にはそれが
どれだけ自分や家族の人生を左右する
ことなのか、当時は全く思いもしなかった。


母は退院後も
OD、リストカット、飛び降り、首吊り…
数えられない自殺行為を繰り返したが
全て未遂で終わってしまっている。
当時は、希死念慮(死にたいという気持ち)が
強すぎたため、その後も精神科への入退院を
繰り返していた。


中2の私には、


何故あの優しくて我慢強い母が?
弱音ひとつ吐いたことない母が?
ずっと仲が良い家族だったのに、
何故助けられなかったの?
何故、気付いてあげられなかったの?
私が悪いことをしたから?
お母さんが病気になったのは私のせいなの?


そんな暗い思いがひたすら頭の中を
ぐるぐる渦巻いていた。


この出来事が私にとって、
強い衝撃とショックとなり

自責の念へと変わった。


そして、

人は自分で人生を終わらせることができる

という、魔法のような思いが
私の人生を大きく左右することになっていった。


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