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「死」が私に与えた「どう生きるか」という指針
本日のテーマは、ちょっと重た目ですが、私が経験してきた「死」についてです。…特定を避けるため、固有名称などはかなり省いてご紹介します。なんとなく覚えている当時の葛藤や、気付きを、自分の為に文章化していこうと思います。
間違いなく、誰かの死を経験したことで得た考え方が、私を形作ってます。これはきっと、真理。
いつもより、少し多くエピソードを含みますので、長めです。「死」について考える、一つのきっかけにしていただければ幸いです。
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小学生、「もう二度と会えなくなる」を知る
「人は死んでしまうもの」を理解したのは、いつだったんだろう。多分、概念として知ったのは、小学生ぐらいなんじゃなかろうか、と思う。
初めて「知っている人の死」を経験したのは、小学生高学年だったと思う。遠方にいる、父方の曾祖母の死。会った回数は多分片手で足りるくらい。亡くなった日が当時の母の日だったから、なんとなく強く印象は残っている。
「もう二度と会えなくなる」それだけはこの頃、強く感じたんじゃないかと思う。ただその後の行事事には一切参加していなかった為、やっぱりまだ「死」は漠然としたものでしか、なかったのだろう。
私にはもう、祖父母がいない。父方の祖父は私が生まれる前に亡くなっていた。
祖父母は非常に短い期間に立て続けに亡くなっていった。それこそ、私が一番多感であろう中高生時代。その中でも、一番「死」で学ぶことが多かったのが、母方の祖母、そしてそれに続いた祖父の「死」である。
中学生、「死」が人の心を揺さぶることを知る
母方の祖母は、私が小さい頃からあまり、接点がなかった。長年、難病で入院をしていたからだ。
会話をした思い出は、正直、ほとんどない。こんなことしたなー、というエピソードぐらいだ。
そんな祖母がついに「危ない」状態になった。
祖母の身近にいた母の姉のもとへ、母も向かうことになった。私は学校がある関係で、父と地元に残り、「その時」が来たら、準備をして、父とこっちに来るように、と母は一月弱、母の地元に留まることになった。…準備とは、喪服とか、まあ、そういうことである。さすがに「死」を意識させられてしまうのだ。少なからず動揺してたと思うが、父の帰りが遅い我が家は、父が帰ってくるまで友人の家にご厄介になる、というプチイベントが発生したので、…恥ずかしい話、どこか楽しんで過ごしていた気がする。
季節は、秋から冬に変わった頃、ついに「その時」が来た。
父と私は、吹雪の中を母の地元まで、高速を車で駆けていった。
到着したのは、その日の夜だったんじゃなかっただろうか…通夜は翌日、本葬は明後日というスケジュールになっていたと思う。
棺に入る人を、初めて、生で見た。
祖母は色白で綺麗な人だった。
口元がかすかに軽く開いていて、目元もすこし開いている。…こんな言い方、適切ではないが、「綺麗な死に姿」だった。
たくさんの人に見送られ、式は滞りなく進み、私はここで初めて、焼き場に行くことになったのだ。
焼き場では、親族と、喪主と家族が分けられる。母は血縁者のため、別行動になるタイミングが多かった。
炉前ホールで最後のお別れをする。それが終わったら、私は立ち去り、母達は、火入れのその瞬間までホールに留まる。
先にホールから離脱し待機室に向かったころだったか、叫び声が聴こえてきた。
私の耳に飛び込んできたのは、ホール全体に響いたであろう「お母さんー!!」という台詞。
…発しているのはおそらく母だった。
その声を今でもハッキリと覚えてる。
その涙に暮れた悲痛な叫びを、私は、忘れられない。多分、私はこの声で、この「死」で母が、親を亡くす、という、とてつもない落胆と動揺をしていることを感じ取ってしまったのかもしれない。
これが、私の初めての焼き場での体験である。お骨を初めて拾った、だとか、喉仏を一番最後に入れることを知ったとか、そんなことはもう、些細なことだった。
あの声だけが、今も鮮明に思い出せてしまう。
こんな強烈な「死」の記憶を、また、一年も経たないうちに重ねることになってしまう。
翌年の秋、母方の祖父の死。もう治せない癌になってしまっていた祖父は、…独りで死んでしまった。その身体はヘルパーさんが見つけたのだという。
祖父とは、思い出が多かった。よく話したし、出かけたこともちゃんと覚えてる。どんな物をよく好んで食べてただとか、どんな性格だったとか…今でもよく覚えてる。
でもその「死」があまりにも、悲しい最期であった。
私を含め周囲にいた人は辛かったその気持ちに、誰も本当の意味では寄り添えなかったのだな、と大人になって、いろんな勉強をしてきた今では思う。
この一件で私は「死」を選び取るほどの苦悩が存在することを知ったのと同時に、選び取る行為が産む遺された者に対する「罪深さ」を学んだのだ。
大学生、「死」の不条理さと己の不甲斐なさを知る
これは、個人を特定されるわけにはいかないので、とってもざっくりとした説明になる。このエピソードは、多分、知る人を増やさないほうが、本当は良い話なのだと、私は思うが、どうしても私と「死」について書くならば、外せない話なのだ。
…大学の同期が大事な国家試験の前に亡くなってしまったことを知った。
…面識もあったし、関わったエピソードも山のように存在した。声も好きだった。相手に私は好かれていなかったかもしれないが、少なくとも私はその人に会ったことが人生において大きな意味を持っていた人、なのだった。
同期で見送った後、少なからず私は不安定になり、母が下宿先にサポートに来ることになった。そのサポートもあって、私は試験にきちんと向かえるようになるのだが、式が終わって、一人で過ごしていたある夜、その人の夢を見た。ご飯を一緒に食べに行っている夢だった。目が醒めたら私は、泣いていた。
…現実には、その場面は経験がない。その夢があまりにもリアルな感覚を伴ったカラーでのものだったので、とっても現実ぽさを持っていて、すごく楽しげな夢だった。だけど、もうそれが、叶わない、どんなことしたって、その人に「ありがとう」も「ごめんなさい」もいう事ができない、とその事実で頭の中がぐちゃぐちゃになった。
…一生の接点をなくしてしまった事実が刺さりすぎて、私はとてつもない後悔に襲われた。
特に、卒業試験の前に最後に見かけたとき、(声をかけることが、できなかった)…その悲しさがますます私を苦しめた。
…最後に、和解ができていたら、よかったのにな…行動に変わらなかったその想いが、いつまでも心の奥底に溜まり続けている。…どんなことをしたってどうにもできない、不消化な想い。私はそれを抱えてこれから、生きていかなければならない…
それなのに、朝になれば、日常は何も変わらない。
私達にはとても大きな喪失感が存在するのに、世の中は、まったく変わらない。
「たとえ自分にとって大切な人が死んだとしても、世界は、そんな気持ちを置き去りにして、変わらず回り続けている」
そのことを、この時、私は知ったのだった。
私が「死」に対して、漠然とした「仕方なさ」を感じ、多くの場合拒まなくなったのも、生命の重みが、どんなに優れた人が亡くなったにせよ、どんなに人に嫌われ続けた人が亡くなったにせよ、「死」は平等で、同じなのだ、と感じるようになったのは、間違いなく、この喪失体験があってのことだ。(この考え方は固定記事を読んでもらえるとわかってもらえるかもしれない)
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「死」が産む「罪」が私を縛る
「迷惑をかけずに死ねるのなら、私は死を選ぶ」(固定記事)という記事を以前書いた。
私は「死ぬ」側には立ったことは、本質的にはない。何度も境界を行き来したが、ありがたいことにまだそれを超えたことはない。
それを超えてしまわないでいれるのは、祖父の死で知った「罪深さ」を知っているからだと思う。
遺されたものが如何に苦しむのか、その後どんなことが起こるのか、なんとなく知ってしまっている。その事が、「死」を私から遠ざけ続ける。
「死」を選び取ってはならないのだ、と私を引き止める。
どんなに足掻こうと、死んでしまうときには死んでしまう。
何度か、「死んでしまうのではないか」という体験はした。でも、何らかの理由でまだ、「生かされている」…それが全てなんだと思う。
「生かされている以上、生きなければ」
私は、もしかしたら、歳の割には、様々な「死」の痛みを知っているのかもしれない。親族、友達、憧れの人、関わりのあった血のつながりのない人…幼い日の思い出と、仕事で関わったいくつかの「死」が私を成長させてくれた。
「死」が、私に教えてくれたもの…
それは、どんな生き方をしようとも、等しく死は訪れる事。
「死」を選び取ることで、たくさんの人を苦しめてしまうこと。
「死」がどんなに必然でも、世の中は「死」を避けるように動いていて、案外、死ねないこと。
…結局、闇雲でも必死に生きるしか、より良い「死」を迎えるときに、自分の充足感には繋がらないこと。「死」に伴う他人の評価は、その人の中だけのもので、世の中の評価は同じ「死」でしかないのだと。
悲しいけど、これが「全て」なのだと思うのだ。
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私は、死んでしまったなら、自分のことは、できたら、忘れられたい。
こう思っていたことを知っている人は、そんなにいないけど、今でも、願いが叶うなら、消えてしまいたいって、生きたいと願いながら生きている私の奥底で思っている私がいる。
跡形もなく消えてしまいたいと、一度でも願ってしまった。そんな気持ちを消せないまま、そんな状態で、今まで生きてきた。…これからも生きていく。
消えてしまいたい、に人生で一度でも舵を切ってしまった以上、わたしは、世間一般でいう、まともには、生きられないことを知っている。
「死」を避けられやしないし、「死」は案外「生きる人」を迎えいれてくれない。死ねないから…結局、生きるしかない。
どんなことをしても、死にたい!という人には、この声は、届かないかもしれないが、
死ぬことが、「救い」なのだ、と思う人が、世の中には多いようだが、それは違うのだと思う。
「死」を選び取ることは「誰も救わない」
もちろん、「死」を選ぶあなたさえも。
…知ってしまったあなた。
さあ、これからどう生きる?
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このnoteでは、私の経験を通して、なんとなく掴んできた、自分の心をラクにする『好きを大切にする』生き方を、話しています。
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そんなわけで、本日はここまでです。
ここまで読んでいただき、
ありがとうございました。
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