見出し画像

迷惑をかけずに死ねるなら、私は「死」を選ぶ


さて、本日のテーマなんですが、
ちょっとビックリするほどタイトルはマイナス思考爆発していますが、結論はプラス思考に着地できましたので、安心してください。

…生きていても、死んだとしても迷惑をかけてしまうなら、生きて迷惑をかけて、その分、恩を返せるタイミングが来たなら、その時返す、という可能性に賭けてみよう。

こんな私も、何度か死にたいだとか、消えたいだとか、考えたことがあります。それこそ、今から半年以内に、それしか考えられない時期もありました。行動に起こしはしませんでしたが、毎日、非常に怖かったです。

目覚めるのが怖い、眠るのが怖い…一度、本当に生きる気力がゼロになって、徹底的に落ちてしまいました。

そんな私が、どうしてもう一度、「生きる」方向に舵を切ることが出来たのか、本日はそういったお話です。記憶が相当曖昧ですが、お付き合いください。


生きる気力がゼロだった時期、昨年の春から秋にかけてでしょうか?実はその前年の冬から、私は職を失くし、貯蓄も尽き、精神も、それに比例するように、身体まで動かなくなってしまいました。

布団にいる時間が半日、あるいは全く起き上がれないまま、一日が終わる日なんてのもザラにありました。

今でこそ、こうやって、手元の小さな端末を通して、世の中と繋がることが出来るようになりましたが、この時期は、TVも楽しむことが出来ず、ネットにまったく触る気力さえなく、長年続けてきていた声活動、それに連動していたSNSなど、全て止めてしまいました。

実質、身体はあっても、心はどこにも存在していない状態。

それでも世界は止まることなく動き続けていて、自分は取り残されている、そんな感覚が私の心を支配していきました。

(私は生きてちゃいけない、仕事もしてなければ、納税の義務さえ果たせない…身体は言うこときかない…こんな状態で、生きていても、迷惑しかかけてないじゃないか…)

これは、現在もまるっきり同じ状況なんですが、この頃は、未来に目を向けても、動けないままの私が、迷惑しかかけてなくて、呆れられて、見捨てられて…そういった暗い気持ちに襲われてました。

死ぬことが「使命」のように感じられるようになり、どのように死のうか、どう死んだら一番迷惑をかけないか、などあれこれ考えていた頃、一番頭をもたげていた、年金の未納確認書類が届き、そのハガキ一枚で、支払いの全額免除の申請が可能なことを知りました。

勤めてないなら、払わなくていいですよ、と国が勧めてくれたのです。

制度そのものは知ってました。でも、必要書類を全部揃えて提出しに行かなければ、駄目と、前年申請して思っていたので、とても驚いたのを覚えています。

結論をいうと、申請は無事通りました。

少なくとも年金は支払わなくても国に申請しておけば、怒られることはない…それを知れたことにより、納税の義務は、払えない、の意思表示をすれば、それでとりあえずは大丈夫であると、少しだけ肩の荷がおりたような気がしました。


「死ぬこと」を考えれば考えるほど、問題は山積みでした。

家で死ねば、両親に迷惑をかける。病院で死ねば、病死であれば誰も責められないかも知れないけど、病院と両親に迷惑かける。自殺以外にも、事故とか、…誰かに殺してもらう、とか、いろいろ考えました。

でも…どこで死んでも、この身体を処理する手間、探す手間をかけさせてしまう。

部屋のこと、デジタル遺産、放置してしまったSNSのこと、どこかにある私が生きていた、という痕跡、元気な頃にした約束のこと、私の幸せを願ってくれていた大切な人達のこと、

何も言わずに、消えて、忘れてもらえるかは、わからない…

死んだ、と知られて、あらぬ誤解をさせたくない…

何より、私の幸せを願って、信じてくれた人をこれ以上、裏切りたくない。


(あ、私、死ねないんだ…生きるしかないんだ…)

そこに辿り着いたとき、ついに、

(じゃあ、どう生きていけばいいのだろう…)

という考えに変わり、そこから、

「生きる」に一気に考えを戻すことが出来たのです。


今の私に無理なく出来ることはなんだろう…そうやって、少しずつ模索し始め、辿り着いたのは、

(あ、やっぱり歌うことだ!、端末でネットにアクセスすることだ、音楽や人の音声を聴くことだ…私が、「好き」という気持ちで取り組めることだ…!)

ということでした。


それに気づいた、ちょうど同時期に、私が高校生から大好きで、人生を変えてくれた、とまで思っている、有名アーティストさんが、新作発表に動き出すことを知りました。

数年に一度とても大きなプレゼントをくれるアーティストさん。特設サイトで新曲がちょっとだけ公開され、その曲が私の中の「好き」を激しく刺激してくれました…

(この新曲を、今後出るであろう新作を聴くために、なんとか生きよう!死ねない以上やれる形で生き抜こう)

それが私の中の大きなモチベーションになりました。

これが、今の私の「生きる力」になったエピソード、です。

私は「好き」という気持ちに正直でいたら、いつのまにか失意のどん底から引き上げてもらっていました。それが教訓となっています。

そして自分のために、空白だった数ヶ月を思い出せる分だけ思い出して、今までを振り返ることや、振り返って気づいて、なんとなく見つけた生き方など、私の経験を話すことが、実は世の中に対して提供できる価値なのでは?なんて思い始めて、今、発信活動をしています。

元々使ってた活動名義は、大好きな人達にもう一度出会える私になれるまで、しばらく寝かせておこうかな、と思います。…今の目標は、自分の力で、直接、大切な人達に会える私になること、です。


もし、正体に気づいても、今は身体的に、自由に会えそうにないから、そっとしておいてください。でも必ずこの葛藤の末に、「生きる道」を確立できたその時には、このnoteも本来の活動名義に切り替えて、私と活動名義を一人の人格に統合しようと思います。

そして、みんなに会いにいきます。

「ありがとう」と「ごめんなさい」をたくさん、伝えにいきます。



では、長くなりましたが、まとめに入ります。

生きるにしても死ぬにしても迷惑はどこかしらにかけてしまうから、迷惑かけるだけかけて、取り返した時に迷惑かけた人へ、恩を返すことができれば、それでいいんじゃない?…というか、それでいい!ってことにさせて!


私が生きてきた痕跡を私が消すことができないから、自分で死んだら迷惑がかかります。かからない方法を私は見つけることが出来ませんでした。だから生きています。

死んだら、かけた迷惑も詫びることが出来なくなります。

でも、生きていれば、少なくとも未来の自分が恩を返す機会を作り出すことができる可能性が残ります。

同じ迷惑であっても返せるか、返せないか、

…私は「可能性」に賭けてみることにしました。


「生き方」さえ今の自分に合っていれば、自ずと道が開けてきます。今できる精一杯を続けてみてください。

その「生き方」に同意してくれる人がいることがわかると、自分も生きていていいんだ!と思える日が、きっと訪れます。

本当の意味で、お役御免になるときには、きっと死ぬんだろうから、そこまでは、自分が、幸せと思えることをできる限りして、自分を大切に思ってくれる人を、私なりに守って生きたいな、と思っています。

そのために、家の中で、私は歌います。声で発信します。寝っ転がりながら、よく回らない頭で、ポイントサイトでコツコツ小銭稼ぎします。頭が冴えてきたら、ニュース見たり、音楽番組、トークバラエティ、クイズ、ドラマを見たり、YouTubeの教育系動画を見て新しい知識を入れてみたり…

いろいろ考えましたが現時点で頑張れるのはこのぐらい、です。

しかも、出来る限り外から受ける刺激から耐えられる状態で、これが今の自分の精一杯。

「出来ること」を「続けること」が、いつか、私がもう一度、大好きな人達と「生きる道」を選べる「力」になると信じて…

その「続けること」に、このnote更新も含められるように、ゆるゆると頑張ります!


このnoteでは、私の経験を通して、なんとなく掴んできた、自分の心をラクにする『好きを大切にする』生き方を、話しています。

ゆるゆると発信を続けていくので、読んでみようかな、と言う方は、よければ、フォローしてもらえたら嬉しいです。

そんなわけで、本日はここまでです。

ここまで読んでいただき、
ありがとうございました。

いただいた支援は、描く発信の機材(今使っているペンもサポートや記事購入のお金で購入しました)や他のnoteユーザー様の支援、将来みつけたい目標のために使わせていただきます!