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【短編】キャンドルでまた会おう。

 僕にはお盆休みの日だけ、彼女が来る。

 遠距離の彼女はお盆休みになると必ず僕の家を訪ねて、インターホンを鳴らすのだ。
 僕はそれを毎年の楽しみとしていて、窓際に昨晩作ったばかりの馬を飾って、じりじりと窓から差し込む日差しに汗を首筋に伝わせながら、安いアイスキャンディーを咥えて、蝉の声に交ざって聞こえてくるその音を待つのだ。

 三本目のアイスキャンディーを咥えたところで、待っていた音が耳に入る。
 踊り出しそうな足を抑えて、平然を装い、僕は当たり前のようにドアを開ける。開けたそこには、相変わらず綺麗な彼女が、少しだけ汗を白く色っぽい首筋に浮かばせて立っていた。

「よお」

 僕は短く挨拶する。できるだけ、にやけそうな顔をあらゆる顔の筋肉を使って抑えて、だ。

「久しぶり」

 彼女は、くしゃっとした作り笑いなんて知らない顔を僕に向け、当たり前のように僕の家の中に入る。暗めの廊下の床に彼女の綺麗にペディキュアで塗られた足先が映える。

「それ何味?」
「チョコ」
「ふうん、今日で何本目?」
「……何だ、人を常習犯みたいに」
「だって、毎年いくつも食べてるじゃん」

 そうだ。去年は朝から彼女が来るのを待っている間に五本も食べた。ちなみに、彼女が僕の家に訪ねるのは、お昼前だ。子供じゃあるまいし、食べる量を考えろと去年は流石に怒られた。だから、今年は少し減らしたのだ。これでも頑張った方だと自分で思う。だって、ヘビースモーカーが急に次の年から煙草を一箱、ましてや一本に量を減らすなんてできない。僕も同じだ。ヘビーアイスイーターが次の年から何事もなかったかのように、アイスを一本に減らせるわけがないのだ。

「言えないくらい食べたの?」

 彼女が眉間に皺を寄せる。僕はその皺と皺の間を引き伸ばそうと、首を横に振る。

「去年よりは減らした。三本だよ」
「多いじゃん」
「減っただけ褒めてほしいね」

 そう。たった二本だけ減ったのではない。二本も減ったのだ。

「おなか壊しても知らないんだから」
「大丈夫だよ。その間は、窓開けてひなたぼっこしてるから」
「日光浴の間違いでしょ。それに、日に当たってる当たってない関係ないから」
「そんな言うなよ。アイスいる?」

 僕は彼女から逃げるように台所に向かう。食べ終えて残ったアイスの棒を口から引き抜いてゴミ箱に投げ入れ、隣の冷凍庫に手を掛ける。

「いらなーい」
「はいはい」

 僕は、ひんやりとした中に手を突っ込み、一本だけ手に取る。

「もう食べなくていいからね」
「――はいはい」

 手に取ったアイスから手を離す。暫しおあずけだ。

 リビングに戻って、ソファでくつろぐ彼女の隣に腰掛ける。なんとなく、目の前のリモコンを手に取り電源をつける。子供なら駄々をこねたいつまらないチャンネルのオンパレード。子供と呼ばれなくなって、随分と経ったが、未だにこの時間帯のチャンネルには駄々をこねたい。

「何もないね」

 別に彼女に言うわけでもなく、ぼそりと呟いて、何に笑っているのかも分からないスタジオを映し出すのを阻止する。

 二人で特に意味もない溜息を吐く。

「そういえば、玄関いい匂いしたけど」
「ああ、アロマキャンドル。昨日の夕方に迎え火代わりで」
「一日フライングだけどね。去年と匂い変えた?」
「うん。ほんとは玄関前で何とかできないかなって思ったんだけど、マンションはやっぱ無理だね。断念して、今年はアプリコットのアロマキャンドル買ってきた」
「迎え火するとこなんてほとんどないだろうに」
「僕にとっては大事だから」

 僕にはお祭り前に上がる小さな花火に近い。彼女が帰ってくるから、僕は僕にとってのビッグイベントを盛り上げるために、迎え火をする。彼女が無事に来れますようにとお願いしながら。アロマキャンドルだけど。

「何でアプリコット?」
「一時、振ってたでしょ。アプリコットの香水」
「ああ」

 彼女は「あれか」と思い出す。

「よく覚えてたね」
「あの匂い結構好きだったから」

 甘ったる過ぎないその匂いに、胸がときめいたのを覚えている。結構前の思い出なのに、それは色褪せることはなくて、昨日はアロマキャンドルのその匂いでむせ返りそうな程、色濃くその時のことを思い出しては、胸が心地よく締め付けられた。

「行きは大丈夫だった?」
「うん。おかげさまで。前日にはしっかり準備してたから」

 彼女もこのビッグイベントにはやる気十分らしい。そう思うと、口許が緩むのを制御できなかった。

 彼女と過ごせるのは、今日を入れてあと四日。長いようで短い。一年に一回だけど、僕らのビッグイベントだ。少々懐が寂しくなろうが、寂しくなった分だけの価値はある。いつもなら、財布の中身は悲しいものだが、今回ばかりはひったひたに潤っている。心なしかいつもは痛んでいるはずの革に艶が出ている気さえする。

「どこか行きたいところは? 短い期間だ。行きたいところ全部行こう!」

 少し得意げに胸を張ると、彼女が小さな女の子特有の可愛らしいキラキラとした目を僕に向けた。

 彼女が最初に要求したのは、つい最近できたばかりの綺麗な喫茶店だった。去年、お気に入りだったコーヒーショップが潰れ、来年新しい店ができるという看板だけが寂しく立っていた。落ち込む彼女に「来年は二人でここに来れるね」なんて、フォローになってるんだかなってないんだか分からない僕なりのフォローを入れたのを覚えている。

 喫茶店は、賑わっていたが、幸い席が空いていて直ぐに座れた。向かい側の彼女は、店内を見渡しては目を輝かせ、写真をふんだんに使ったお洒落なメニューを見ては、きゃっきゃと嬉しそうに目を細めていて、僕はそんな彼女の姿を見て、女の子だなあと目を細めた。

 可愛らしいホットサンドランチを食べた後、コーヒーを飲めない彼女は紅茶の上にホイップクリームが乗ったウィンナーティー、紅茶を飲めない僕はウィンナーコーヒーを頼んだ。

「何だかお得感があるよね」
「ホイップが乗ってるのが?」
「そう」

 彼女が嬉しそうに目の前のウィンナーティーをティースプーンでかき混ぜる。僕も彼女につられてスプーンをウィンナーコーヒーの中に突っ込む。

「デザートを頼まなくても、何だかデザートを食べてるみたいで」

 絶妙な甘みと苦味を舌の上で躍らせながら、甘党の僕も彼女のその感覚に頷く。彼女もティーカップに口をつけては、それはそれは幸せそうな顔を浮かばせた。この時ばかりは、紅茶を飲んでみたいと思ってしまう。

「どうそっちは?」
「まあまあかな」

 彼女は少しだけ笑う。可もなく不可もなくといった感じだ。

「そっちは?」
「まあまあかな」

 彼女を真似て返事をする。彼女がいない一年は、大きな波もなく、贅沢になのか無駄になのか、ゆるゆるとした時間を過ごしていたように思う。

「一緒だね」

 二人同時にカップに口をつける。まだ温かい液体が食道から胃へとじゅわりと伝わっていくのが分かった。しっかりとその感覚を感じ切って、彼女よりも先にカップから口を離した。

「ねえ、やっぱり僕、そっちに行くよ。そばにいた――」
「だめ」

 少し低めの力強さを持つその言葉が、僕の言葉を立ち止まらせた。

「まだ、夢、叶えてないでしょ。まずは、それを叶えてからじゃなきゃ」
「でも――」
「簡単にそんなこと言わないで」

 僕の言葉の続きは彼女に届くことはなく、僕の方へと踵を返す。代わりに「ごめん」だけが彼女に届けられた。もう一度カップに口をつけると、苦味で舌がぴりついた。

「ほら。私、他にも行きたいところがあるんだから、早く次行こ」

 俯いていた顔を上げて、彼女は相変わらずのくしゃっとした顔を僕に向ける。僕も彼女につられて口の端が上がった。

 喫茶店を出た後は、ひたすら彼女の後を歩いた。独りでは絶対に入らないキラキラと可愛くて綺麗なアクセサリーが並んだ店へと手を引っ張られ、彼女に似合うバレッタを選ぶ。代わりに彼女はお揃いしようと二つバングルを手に取った。月に照らされて時々きらりと光るバレッタが彼女の心を躍らせた。家に帰っても、揃えたバングルが嬉しくて、付けたまま二人で夢の中へと足を踏み入れた。

 二日目は、家で二人してだらだらして、朝昼晩の三食、彼女の久しぶりの手料理を口に運ぶ度に目頭が熱くなり、「大袈裟だ」と耳を赤くしながら彼女は僕を笑った。笑って耳が赤いのを誤魔化す彼女が愛おしく感じた。

 三日目は、着慣れない浴衣をお互い着て、少し離れた場所である花火大会に出掛けた。綿菓子、林檎飴、かき氷、チョコバナナ、冷やしパインと彼女はあらゆる屋台の甘味ものに手を出し、僕は、たこ焼き、焼きそば、焼き鳥とご飯ものを多めに買って、花火を見ながら楽しんだ。家に帰ったら、足が痛いと二人で親指と人差し指の間に絆創膏を貼り合った。

 四日目、最終日。彼女は大人で、僕は子供だった。ソファの上で屍のように動かない僕を彼女は上から見下ろし、右手に持つ冷たいものをチラつかせた。

「アイスは?」
「いらない」

 ヘビーアイスイーターらしかぬ、即答。この日ばかりは、どうも食べる気にならないのだ。

「あ、そう」

 彼女はチラつかせていたそれを口の中に突っ込んだ。美味しいアピールでもしたいのか、必要以上にそのアイスの食レポを芸能人張りにする。

「そうだ」

 食レポがぴたりと止んだ。

「最後に行きたいところがあるの。付き合って」

 彼女が僕を引っ張っていったのは、女の子らしい小物に溢れた雑貨屋だった。可愛らしさを覚える匂いが鼻腔をくすぐる。彼女が足を止めたのは、アロマキャンドルのコーナーだった。数えるのが面倒なほど、ズラリと並ぶキャンドルの中から、迷う素振りも見せずに彼女は一つだけ、アロマキャンドルを手に取る。

「これかな」

 大きめのそのキャンドルは、青、紫、藍色の綺麗なグラデーションの層になっていて、所々星を思わせる大粒のラメが散っていた。

「綺麗でしょ」

 別に作ったわけでもないのに、彼女は自慢げに僕に差し出す。

「来年はそれに火をつけてほしいなって」
「今日じゃなくて?」
「そう。今日は、買ってくれてたアロマキャンドルがいいの」

 彼女は僕の手を取り、キャンドルを持たせる。

「また、来年も会いたいから」

 彼女らしい我儘だと思った。僕は彼女の頭を撫でてから、レジに向かう。ギフト用に包むように頼み、財布から野口を二枚ばかり出す。彼女はどこか嬉しそうで、店を出てから、家に着くまでずっと鼻歌を歌っていた。日が沈み出した頃、彼女はテキパキと帰り支度をこなし、僕はその後ろ姿を眺めていた。

「あっという間だったね」

 彼女は僕の方を振り返らずに、口を開ける。

「そうだね」
「新しいお店行けてよかった」
「そうだね」
「ウィンナーティー美味しかった」
「そうだね」
「お揃いも増えて嬉しかった」
「そうだね」
「手料理も食べてもらえて嬉しかった」
「美味しかった」
「今年は花火行けてよかった」
「そうだね」
「浴衣着れたの嬉しかった」
「可愛かったよ」
「キャンドル買えてよかった」
「そうだね」
「また、来年も帰りたくなった」
「……送る準備するよ」

 もう完全に日が沈もうとしている。僕は電気をつけて、台所に向かう。あらかじめ買っておいた茄子を冷蔵庫から取り出し、爪楊枝を四本刺す。大きな体に頼りない細い足。

「相変わらずへたくそね」

 台所の向かいにあるカウンターから、彼女がくすくすと笑う。

「へたくそでいいんだ」
「……そうだね。私もそう思うよ」
「大丈夫」

 不格好な茄子を持って、カウンター側に行く。

「しっかり帰れるくらいには頑丈だよ」
「それさえ大丈夫なら十分だよ」

 彼女に茄子を渡す。渡した手許が徐々にぼやけて見えた。彼女が少し背伸びをして、僕の頭を撫でる。

「会えなくなるわけじゃないんだから。また来年ね。――それまで、しっかり生きるの」

 彼女は両手で僕の顔を優しく包み、僕の唇を唇で慰めた。もう日は沈んだというのに、蝉の声で一層汗を流させるこの空間で、唯一、彼女の唇だけはひんやりと心地よかった。

「もう行かなきゃね」

 彼女はボストンバッグを肩から提げ、玄関へ向かう。僕は、彼女が靴を履いている間に、キャンドルに火を灯す。ふんわりと胸のときめく匂いが玄関に満ちていき、僕の胸をしめつけた。ドアノブに手を掛けたその後ろ姿がやっぱり愛おしくて、離れたくない思いが溢れ出して、僕は最後に一年分、彼女を強く抱きしめる。彼女は僕の耳許でくすりと笑い、僕の背中を両手で優しく撫で、そのまま上の方へと手を移動させ、僕の髪の毛をくしゃくしゃと弄んだ。

「気を付けてね」
「うん」
「また、来年、会おうね」
「――うん」

 不格好に震える二人の声。

 お互いの震えを抑えるかのように、珍しく、今年の夏は、もう一度唇を重ねた。
 温かい僕の唇と冷たい彼女の唇。触れられることを幸せとして感じる温度を、互いの脳へと伝えていく。じんわりと、互いの唇の温度が同じになっていくのを静かに感じる。

 僕は、開けたくない瞼をゆっくりと開ける。ぼやける視界で、映ったのは、彼女ではなく、彼女が乗っていったウシだけだった。

 僕は、買ったばかりの彼女が選んだキャンドルに目をやる。

 ――早く、火を灯したい。

                                      Fin.

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眠れない夜に

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