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見栄っ張りな私へ【3言目】

私は自分を見栄っ張りだと思っている。それから、目立ちたがり屋。
いやいや、私なんてと言いながらも心の内ではめちゃくちゃ出しゃばりたいと思っているタイプの人間だ。

そのくせ、自分で自分に自信を持つのが下手くそだから、人の評価を借りて自分の自信を埋めようとしている。
その評価を得るために見栄を張る。

高校までは優等生・・・を振舞った。
小学校の頃から常に係は委員長や総務を立候補、生徒会に所属したり、部長や副部長をしたり、試験は常に上位じゃないと落ち着かない。上位でいたいから勉強を頑張る。授業中は首がもげるんじゃないかってくらい頷きながら臨む。

見栄もあったけど、純粋に優等生でありたいという想いもあったから、必要以上に苦しくはなかったし、その努力も実ってか、高校時代は3年間成績オール5を達成し、卒業前にはその年の優秀生徒に選ばれた。

努力がこうして認められるのは嬉しかったし、自分の自信にもつながった。大学に進学しても、変わらず優等生を続けていた。しかし、進学して一年が過ぎようとしていた頃、苦しくなってきた。

それまでは、優等生でいれば成績はいいし、みんなも褒めてくれるし、私の自信は埋められていた。
けれど、進学して一人暮らしを始めて、周りに直接褒めてくれる人もいなくなって、自分が如何に自分を評価できるかの方が大切になるステージに立ったのだと思う。
自分で自分の自信を埋めなければならないのだ。

でも、自分でこれまでの自分の「優等生」像を褒めることはなかった。

人の前に立つことをしていたのは、その仕事が一番楽だと思っていたから。
勉強上位も自分に勉強ができるというカテゴリがほしかったから。
成績オール5を目指したのは、大学の一般入試を受けるための勉強をしたくなかったから。

つまり、私の優等生は怠け者ゆえに生まれたものなのだ。
怠けるための「優等生」像は偽りにも近く思えて、しかも、本当の自分の上から覆いかぶせているような気もして、それに気付き始めたら徐々に居心地が悪くなっていた。

その頃、運悪くタイミングが重なってしまったサークル代表としての重圧とバイト先の店長からの嫌がらせに耐えられなくなって、自分を見失いボロボロになった私は夜道で公園でしゃがみこんで泣いた。

自分はどう生きたいんだろうか。
もう「良い子」でも「優等生」でもなくていいから逃げ出したい。
自分が勝手につくって勝手に振舞って勝手に苦しくなっているのも自覚していたから余計情けなくなった。

なんで変われないんだろう。
やっぱり見栄っ張りだからだろうか。
みんなに自分は「良い子」で「優等生」に見られたいんだろうか。
見られたところで満足もしていないのに?
誰が求めているわけでもないのに?

べそべそと誰にも知られず少し泣く日がその頃は多かった。
それなりの落ち込み期間はあったけど、異変に早く気付いて慰めながらも叱ってくれた恋人のおかげで少しずつ外でも駄目な自分を出せるようになってきた。

信頼する仲間には「しっかりしているけど、ふとした時にポンコツ」と認識されるくらいにはしんどくなっていた見栄っ張りも緩和されてきたが、今現在もその見栄っ張りがゼロになることはない。

最近、とある経営者が「いいところを見せようとし過ぎず、どんどん課題を見せなさい。周りはアナタにタダで自分のこれまで知見を提示してくれる」と言っていたのを聞いた。

思い返すと、助けを求めたら手を差し伸べてくれる人は多くいた。一緒に壁を乗り越えようとしてくれる仲間は自分が思っていたよりもはるかに多かったんだなと気づいた。

そのままの自分でも近くで寄り添ってくれる人はいる。
そのままの自分を好きでいてくれる人はいる。

見栄を完全に捨てることはなかなかできないけれど、「見栄っ張りなんだよね」と言うことはできる。
見栄っ張りな自分も認めて愛しながら、苦しくない自分の姿を出していきたい。

見栄っ張りな私へ。
駄目駄目だと思っている今の自分も案外悪くないかもしれない。
そう思っておく。

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