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エッセイ『3人を生きる』

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一卵性三つ子として生まれた著者が、三つ子として生まれる腹の中から20歳までの、三つ子の一人の視点から書かれた記録です。特殊な環境、「私」として存在することへの葛藤・焦り、三つ子と…
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2018年9月の記事一覧

3人を生きる-アナタの知らない三つ子の話- vol.0 プロローグ

 まず、はじめに。  私を、私たちを産んでくれた母に感謝します。  そして、私たちを育て、私たちというものを形作ってくれた全ての方々に感謝します。  私たちは、今もなお、胸の奥がトクトクと脈打つのを感じ、時に悲しみに涙し、時に喜びに涙することの幸せを噛み締めることができている。  「生きる」ということを普段深く考えることもせず、当たり前と感じているという感覚の中で過ごしている。  「奇跡」というものは、存在するのか。  存在するでしょう。  少なからず、私はそう思っている。

3人を生きる-アナタの知らない三つ子の話- vol.1 三つ子、誕生前の絶望

 私たちが生まれたのは、平成10年(1998年)11月25日の朝、8時39分から40分のこの1分間。3人は、この1分の間に、母のお腹から次々に取り出された。  未熟児よりも更に小さい超未熟児として、初めて呼吸をした。  私たちが取り出されたのは、奇跡だ。奇跡というのには、理由がある。何故なら私たちは、取り出されないかもしれなかったのだから――。  母の妊娠が分かって、病院に初めて行ったとき、先生は言った。 「赤ちゃんは一人ですね」  母は少し経って、別の病院に行った。そのと

3人を生きる-アナタの知らない三つ子の話- vol.2 産むか堕ろすか

 ――生まれたとしても、知恵遅れで1年生きられない。  父と母は泣きながら帰った。自分の子が、自分たちの思う「普通」に生きられない。何度先生に言われた言葉を反芻しても、傷は癒えることなく、ただただ深くなっていくだけだった。 「本当に染色体異常かどうかは、羊水から検査することはできます。が、私は検査しないことをお勧めします」  もし、本当に染色体異常だったということが分かったとしても、母は、「普通」に生きられないと分かった3人を産まれるまで身籠らなければならない。その間、母

3人を生きる-アナタの知らない三つ子の話- vol.3 母の決心

 手術着のまま、先生は母のエコーを撮った。 「ほら。心臓がちゃんと3人共動いてますよ。指もしっかり5本ありますよ」  先生は、私たちがちゃんと生きていることをモニターを指しながら母に示していく。  母はもう一度、先生に悩みを打ち明けた。 「いいですか」  先生が口を開いた。 「中絶可能な期間を過ぎてしまえば、脳のない子を除いて、どんな子でも産まなければなりません。肝臓がない子も心臓がない子も腎臓がない子も。この子たちも例外じゃないんです。それだけは忘れないで」  産むべきか

3人を生きる-アナタの知らない三つ子の話- vol.4 三つ子誕生と奇跡

 産まれて直ぐの頃、私たちにはまだ名前がなかった。代わりに、足の裏に1番、2番、3番と書かれていたらしい。つまり、「1番ちゃん」「2番ちゃん」「3番ちゃん」という呼び方だったということだ。  この番号呼びの間、曾祖父母から母の姉まで、皆で考えた。由来なんてない。響きと漢字を思いついたら、言い投げ、その中から、父と母は選んでいった。  皆で出した響きに漢字を当てていく。特に意識はしていなかったらしいが、選んだ名前は皆、画数が一緒になったらしい。無意識のうちに、DNAだけでなく、

3人を生きる-アナタの知らない三つ子の話- vol.5 平等と競争

 カウントダウンが止まってから、私たちは大きな病気を患うこともなく、体が小さいながらもすくすくと育った。  さて、前回までは、私たちが、生きる道を歩み始めるまでの話だ。  ここからは、ある一人の視点から見た三つ子と自我の確立の話を始めよう。  アナタが三つ子にどのようなイメージを持っているかは定かではないが、三つ子と言っても、勿論、全てが同じわけではない。似ているところと異なるところはある。  背丈も体重も顔の特徴も体型も声もほとんど同じであるが、物事の捉え方や考え方、嗜

3人を生きる-アナタの知らない三つ子の話- vol.6 三つ子から私と2人

 三つ子の中でも一番と言っていいほど、私は競争心が強かったように思う。  三つ子の中で焦燥感を抱いてから、私は、勉強を頑張るようになった。小学から中学にかけては、何より3人の中で最も点数が良くないと気が済まなかった。一番良い点数でない時は、傍から見たら笑えるくらいに落ち込んだ。  そんな私に母は、井の中の蛙でいてはならない。3人の中で一番であってもなくても、それに一喜一憂してはならないのだ、と言い聞かせた。一番でなくとも気にするな、と。それでも、私は3人の中で最も勉強ができる

3人を生きる-アナタの知らない三つ子の話- vol.7 競争心と個性

 中学はとても小さかった。私の学年は3年に上がった時点で57人しかいない小規模校だった。クラスは2クラスだけ。  1年と2年は他の2人のそれぞれと同じクラスになり、3年は自分一人だった。  入学当初、周りは三つ子という存在を珍しく思っては、事あるごとに比較した。勿論、悪意などない。単純に差が目に入るのだ。  1年の時は、三女と同じクラスだった。三女は、3人の中で最も明るい性格のムードメーカーで、いつも周りを笑わせていたように思う。足も速く、毎度陸上大会では短距離走選手として参