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3人を生きる-アナタの知らない三つ子の話- vol.2 産むか堕ろすか

 ――生まれたとしても、知恵遅れで1年生きられない。

 父と母は泣きながら帰った。自分の子が、自分たちの思う「普通」に生きられない。何度先生に言われた言葉を反芻しても、傷は癒えることなく、ただただ深くなっていくだけだった。

「本当に染色体異常かどうかは、羊水から検査することはできます。が、私は検査しないことをお勧めします」
 もし、本当に染色体異常だったということが分かったとしても、母は、「普通」に生きられないと分かった3人を産まれるまで身籠らなければならない。その間、母の精神が耐えられるのか。先生はそれを考慮していた。
 その上、三つ子の場合、それぞれの羊水を正確に取れない可能性もあり、検査自体が正確に行えるか難しいらしい。そして、仮に、2人は異常無しで1人が異常がある場合でも、一卵性多胎児の場合は、24週目頃から血液交換を始めるため、1人の異常が、2人に移る可能性もあった。
 母は、検査しないことを選んだ。

 帰って、母は親、つまり私たちの祖父母に話した。祖父母は産むことを反対した。母の姉夫婦は何も言わず、ただ黙っていた。私たちの父さえも産むことを反対した。
 脳室内嚢胞が分かったのは、18週目頃、死産届は必要でも、中絶はまだ可能な時期だ。
 産むにしても、母体にもリスクはある。まだ見ぬ赤子と今まで大事にしてきた女性。娘、嫁と直ぐに死んでしまう命どちらを取るか。目の前にいる大切な存在を優先するのも分かる。
 母は、皆が反対する中でも、私たちが動いているのを感じていた。この子たちは生きているのだと感じていた。
 ――私には、3人の命を奪うなんて、この子たちを殺すなんてできない。
 その日から、母と祖父の産むか堕ろすかの口戦争の日々が始まった。

 悲しい事実を知って、産まれることを望まれなくなった3人を身籠る母は、その2つの事実の前に、今にも崩れそうな膝を何とか保ち立っていた。涙が出ないわけがなかった。

 妊娠後は入院が好ましいが、精神面を考慮して、母は2週間に1回通院することになっていた。
 悲しい事実を知ってからのある通院の日、その日は、祖母と母は来ていた。助産師のWさんと話をしたとき、母は震える口をゆっくりと開けた。
「みんなが産むのを反対するんです。どうしたらいいのか分からない」
 担当医は、毎日手術に忙しく、エコーは代わりに研修医が受け持つほどであった。しかし、母の言葉にWさんは「待ってて。先生に話してみる」と母をなだめた。戻ってきたWさんは、先生が手術の合間にエコーを撮ってくれると母に告げた。
 手術の合間を抜け出し、先生は母の前に手術着で現れた。

#エッセイ #日記 #記録 #三つ子 #3人を生きる

 


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