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3人を生きる-アナタの知らない三つ子の話- vol.1 三つ子、誕生前の絶望

 私たちが生まれたのは、平成10年(1998年)11月25日の朝、8時39分から40分のこの1分間。3人は、この1分の間に、母のお腹から次々に取り出された。
 未熟児よりも更に小さい超未熟児として、初めて呼吸をした。
 私たちが取り出されたのは、奇跡だ。奇跡というのには、理由がある。何故なら私たちは、取り出されないかもしれなかったのだから――。

 母の妊娠が分かって、病院に初めて行ったとき、先生は言った。
「赤ちゃんは一人ですね」
 母は少し経って、別の病院に行った。そのとき、先生は言った。
「あら、双子ですね」
 また少し経って、母は多胎児を主とするセンターに行った。そのとき、先生は言った。
「あれ、後ろにもう一人隠れてる」
 母が命を3つ身籠っていると知るのは、時間が経ってからだった。その報告は周りの人と共に生まれることの喜びと期待を届けるものだった。
 しかし、その喜びと期待を失わせる事実を突きつけられる。
 母が胎動を感じ始めた頃、エコーを撮ったそのとき、先生が重たく口を開いた。
「3人共に、脳室内嚢胞がある」
 これは、誰にでもできるもので、大抵、1cm未満であり、自然に治ると先生は父と母に説明した。しかし、それは、1cm未満での話なのだ。
「3人には、両方に1個ずつ、1cm以上の嚢胞が見られる」
「両方?」
 母は首を傾げた。
「右脳と左脳のそれぞれにあるんです。それが、3人共に」
 先生の表情は暗かった。母には、その表情の意味がまだ分からなかった。
「いいですか。落ち着いて聞いてください」
 嫌な予感が父と母に急に襲い掛かった。
「1cm以上の嚢胞は、所謂、染色体異常です」
「染色体異常だったら、何かあるんですか?」
 隣にいる父も、先生の口許に集中する。先生は、躊躇いながらも口を開いた。
「母親のお腹の中で死ぬかもしれない。もし、生まれることができても、知恵遅れである可能性があります。それから、生まれても、1年生きられない
 その言葉を脳内で反芻させ、理解した瞬間、2人の顔は強張った。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました! 自分の記録やこんなことがあったかもしれない物語をこれからもどんどん紡いでいきます。 サポートも嬉しいですが、アナタの「スキ」が励みになります:)