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3人を生きる-アナタの知らない三つ子の話- vol.6 三つ子から私と2人

 三つ子の中でも一番と言っていいほど、私は競争心が強かったように思う。
 三つ子の中で焦燥感を抱いてから、私は、勉強を頑張るようになった。小学から中学にかけては、何より3人の中で最も点数が良くないと気が済まなかった。一番良い点数でない時は、傍から見たら笑えるくらいに落ち込んだ。
 そんな私に母は、井の中の蛙でいてはならない。3人の中で一番であってもなくても、それに一喜一憂してはならないのだ、と言い聞かせた。一番でなくとも気にするな、と。それでも、私は3人の中で最も勉強ができるというステータスに執着した。
 その所為もあってか、小学から高校までは3人の中だけでなく、学年でも高い順位を維持した。
 勉強に必死になっている時にはもう、周りの評価に飢えていた。

 しかし、いくらやったところで、周りに評価されたところで、焦燥感は消えなかった。消えるどころか、年を重ねるごとにそれは徐々に大きくなり、不安、嫉妬、劣等感も溢れ始めていた。

 小学の頃は、順位が高いと親は比較せずとも、己で点数を比べては一人優越感に浸り、そして安堵した。未熟な頭で、これが私の存在意義だと感じていた。しかし、徐々にそれだけでは心の安寧を保てなくなっていた。
 勉強で自分のポジションを保つ中、2人が絵を描くことに没頭し始めた。2人は飽きることを知らないようで、多くの絵を描いては周りに見せ、褒められていた。私は、その姿が羨ましくて、2人のように鉛筆を持った。しかし、どんなに描いても描いても上手く描けない。無意識のうちに彼女らと自分を比較してしまい、優劣をつけている自分がいた。優劣をつけている中、この時漠然と、私には2人のように絵を上手く描けないのだ、と。2人よりも劣っていると感じたのを覚えている。
 この些細なことをきっかけに、私は2人に対する優越感から劣等感を酷く抱くようになった。

 小学の頃は6年間、親の意向もあり、同じクラスになることはなかった。しかし、中学は学校の規模が小さく、2クラスしかなかったため、3年間を1人と2人のローテーションでクラスを回っていった。そうすると、必然的に、学校内で彼女たちの能力を目の当たりにするわけである。
 となると、必然的に、私の酷く抱いた劣等感が増幅されるのであった。

#エッセイ #記録 #日記 #三つ子 #3人を生きる

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