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痛みを伴う怒りとバリアフリー

昨日のことです。利用者と職員が15分ほど掃除をする時間があって、その時に段差につまずいてこけました。
玄関の掃除をしようと思って、ホウキを持って歩いていた時でした。
踏ん張ろうとした足が猪対策のネットに引っかかってこけました。

コンクリートの床に打ち付けられた体は
悲鳴をあげ
声が出ないほどの痛みに僕の心は砕かれ
掃除をサボってブロック塀の上に腰掛けて
公園を眺めていました。

職員でありながら、次期所長でありながら
僕は掃除をサボっていました。
実を言うと今回が初めてではありませんが。。

そして、
この痛みと怒りを何かぶつけようと決心。

そう、昨日引っかかったあの憎い段差↓

段差というのは不思議なもので、元々は何もない場所に人の都合で作られた物だから人の都合で無くしてやろう!というのが今回の試みです。

今日は試みの決行日だったので朝から気合が入っていました。
お昼の調理を済ませ、配膳をして、片付けて、麻雀を断り、僕にはやるべきことがあるんだと宣言して、いざ段差潰しへ。

そして潰したのがこちら↓

完全に野球のマウンド状態…
なんか思ってたのと違う感じになりましたが、それでも良い。
土は敷地内にある園芸場からせっせと持ってきました。

土を掘り返したので鳥が群がってきて少し癒されました。

でも思い返してみると僕が潰したのは引っかかった段差ではなく下水管?の、何か丸い出っ張った人が引っかかったこけそうな何かを埋めただけで、段差はコンクリート部分なので全然埋められなかったです。

このコンクリートの段差を倒す方法をブロック塀に腰掛けて考えること小一時間。
答えが出ないまま、また掃除をサボりました。

そんな僕のことを眺めていた利用者から
あらため君は人生の極意を知っているんだねって言われました。
いやいや、なんのことやら?
って感じだったので尋ねたら

それは自分で考えないといけないよ!
と、言われました。

僕は人生の極意を知っているのか
知らないのか…どっちなんだ…

答えを教えてくれる前に帰っちゃったので明日聞こうと思います。

多分、その人が言いたかった人生の極意は

人生とは何を成し遂げたのか?
ということなのだろうか…

段差につまづいてこけたことを根にもち、施設の設備や所長、他の職員に文句を言うこともできたし、そもそもあんな段差を放置せざるを得ないのは市の助成金が低いことが原因だと文句を言うこともできた。

だけど、それでは何も解決しない。
結局のところ自分が不満に感じたことや問題は自分の手でケリをつけるしかないのだろう。

人生とは行動なのだということが言いたかったのだろうか。

どちらとも言わず明日は明日で僕がやろうと決めた事を誰にも文句を言わずにやろう。

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