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それから


烟は椿の瓣と蕊に絡まって漂うほど濃く出た。

けぶり は つばき の はなびら と ずい に からまって ただようほど こくでた。



最近、夏目漱石の『それから』を読み返したくなった。初めて『それから』を読んだのは、たぶん10年以上前だと思う。そのとき読んだ印象は、「身につまされすぎてきつすぎる」、というようなものだった。

漱石のことは、やはり何かしら気になっていたので、いつかはしっかりと読み返してみないといけないと思っていたが、とうとうその時が来たようだ。


読み返すというのは、ぼくにとっては、つまりは、本を買って読みたいということだった。自分の手元に持ってきて、じっくり読みたい。今まで読み返さなかった理由のひとつには、本の装丁がいまいちだと思っていたということもあったのだった。

漱石の本は色んな出版社から出ているので、アマゾンでちょっと調べてみたところ、この




それから


この、集英社文庫版の装丁がすごく気に入った。この集英社文庫版の漱石の小説の表紙絵は、だいたいこういう感じのイメージの絵で統一されている。これからこのシリーズを集めたい。



それで、先日何日かかけて読み終えたのですが、その感想を一言でいうと、

ものすごく栄養があった。

ということになりますね。


ぼくは普段たくさん小説を読むわけではなく、読むとしても海外の翻訳されたものを読むことが多かったのですが、久しぶりに(初めてかも)栄養のある文章を読んだという気持ちを抱きました。

日本語で書かれた文章をそのまま日本語で読むということ。翻訳なしで。この幸せ。

人間は生まれた土地の食べ物が一番体にあっているし、栄養がある、というような話を思い出しました。

漱石の文章には栄養があった。



この感じでどこまで、さかのぼれるんだろう? 例えばパラパラとめくったことしかないですけど、『源氏物語』なんかまでいくと、いわゆる「国語の勉強」をしないと、今の現代の感覚では読めないですよね。どのくらい昔のものまでなら、今の感覚で読めるんだろう?


小説の内容も、とてもよかった。基本的に「個と社会」について書いてあり、普遍的なテーマとなっていた。構成もすごくて、無駄がない。文豪といわれているだけあって、とんでもないですね、漱石。

構成みたいなものには、数学的なセンスが関係してる感じがする。人物の対比、配置の仕方も無駄がなくシンプルだった。




部分的に、ぼくが印象深かったと思った所を抜き出してみます。


 代助には嫂のこういう命令的の言葉がいつでも面白く感ぜられる。ごゆっくりと見送ったまま、また腰を掛けて、再び例の画を眺め出した。しばらくすると、その色が壁の上に塗り付けてあるのでなくって、自分の眼球の中から飛び出して、壁の上へ行って、べたべたくっつくように見えて来た。しまいには眼球から色を出す具合一つで、向うにある人物樹木が、こちらの思い通りに変化できるようになった。代助はかくして、下手な個所を悉く塗りかえて、とうとう自分の想像しうる限りのもっとも美しい色彩に包囲されて、恍惚と坐っていた。ところへ梅子が帰って来たので、たちまち当り前の自分に戻ってしまった。
 梅子の用事というのを改まって聞いてみると、また例の縁談のことであった。


(太字は引用として分かりやすくなるようにとの感覚で、ぼくの判断でつけました。あと、この文庫本には難しい漢字にふりがなもふってあります。)


なんかすごい描写ですよね。SF的な感じもあるし。そしてこの小説の内容とも、ちゃんと関係したものだし。



あと部分的に印象深かったのは、意識と無意識といったことについて書いているところで、

三、四年前、平生の自分がいかにして夢に入るかという問題を解決しようと試みたことがあった。(中略)暗闇を検査するのに蝋燭を点したり、独楽の運動を吟味するために独楽を抑えるようなもので、生涯寝られっこないわけになる。

こういう文章が、大筋の話の中にちょこちょこ入っている。そして、一見関係ないような話にも見えつつも、テーマが一貫していますね。おもしろいなあ。



あと、もうひとつ抜き出してみる。

すると誠太郎は嬉しそうな顔をして、突然、
「叔父さんはのらくらしているけれども実際偉いんですってね」といった。代助もこれにはちょっと呆れた。仕方なしに、
「偉いのは知れ切ってるじゃないか」と答えた。

誠太郎というのは、代助(だいすけ。この小説の主人公)の兄 誠吾の息子。代助は、このあと誠太郎から、家族が話していた代助評を聞く。

父は代助を、どうも見込みがなさそうだと評したのだそうだ。兄はこれに対して、ああやっていても、あれでなかなか解ったところがある。当分放っておくがいい。放っておいても大丈夫だ、間違いはない。いずれそのうちに何かやるだろうと弁護したのだそうだ。すると嫂がそれに賛成して、一週間ばかり前占者(うらないしゃ)に見てもらったら、この人はきっと人の上(かみ)に立つに違いないと判断したから大丈夫だと主張したのだそうだ。
 代助はうん、それから、といって、始終面白そうに聞いていたが、占者のところへ来たら、本当に可笑しくなった。


ぼくはこの「偉いんですってね」や「この人はきっと人の上に立つに違いない」というようなところを読んでいて、

そういえば夏目漱石は千円札になってるんだよなあ、と思って、なんともいえないような感じをえた。


そして、小説を最後まで読んだあとに、この部分を読んでみると、さりげなくも、すごいものが含まれているなあと思った。

人物の設定、配置みたいなものがしっかりしていて、すごくおもしろい。そして、この小説全体をひとりの人間の内面世界とも読めるようにもちゃんとなっているというすごさ。


いやあ、読んでよかったです。


自分の中で漱石が復活しました。生き返りました。


すごいね。



「覚えていますか」
「覚えていますわ」


漱石さん、千円札のお勤め、お疲れ様でした。




おもしろかったら100円ちょーだい!