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送り火

九條です。

今日(8月16日)は、お盆の最終日。送り火の日ですね。

京都では「五山送り火」(通称:大文字だいもんじの送り火)が催されます(見出し画像)。

私は大学が京都で、大学付近からも見えたので学生時代の4年間はナマで大文字の送り火を観ていました。

いまは毎年テレビで(ウチではKBS京都放送が映るので)観ています。

このお盆の行事。もともとは仏教の「盂蘭盆会うらぼんえ」から来ているとされていますが、この盂蘭盆会のもととなった仏教の「盂蘭盆経うらぼんぎょう」は偽経ぎきょう(お釈迦さまの教えではなくて後から中国で作られたお経)とされています。

この偽経である「盂蘭盆経」に基づいたとしても「盂蘭盆経」に説かれているのは餓鬼道に落ちた人へ食物を施す「施餓鬼供養せがきくよう」が説かれているだけです。

ですから、いまの日本のようにご先祖様の霊を迎えたり送ったりする風習は仏教の教えとは異なります。

『日本書紀』によれば推古天皇14年(西暦606年)に「毎年4月8日と7月15日にときを設ける」とありますが[※1]、これはお盆の行事というよりも施餓鬼供養に近いものではないかと推定されています。

時代は少し降って斉明天皇3年(西暦657年)には「飛鳥寺の西に須弥山の像を作りて、盂蘭盆の瓮会いわいえを設ける」とありますが[※2]、これも施餓鬼供養だと思われます。

これら『日本書紀』による飛鳥時代の記述から見て、この頃にはすでに「盂蘭盆会」や「施餓鬼供養」といった概念は存在したようですが、いまのようにご先祖様の霊を迎えたり送ったりする風習については何も記されていません。

おそらく現在のように、ご先祖様の霊を迎えたり送ったりする風習は中世以降に興った民俗的な風習だと考えられ、仏教学や歴史学等では説明できないものであり、主として民俗学の研究分野になると思います。^_^

【註】
1)『日本書紀』推古天皇十四年夏四月条
十四年夏四月乙酉朔壬辰 銅繡丈六佛像並造竟 是日也 丈六銅像坐於元興寺金堂 時佛像 高於金堂戸 以不得納堂 於是 諸工人等議曰 破堂戸而納之 然鞍作鳥之秀工 不壞戸得入堂 卽日  設齋 於是 會集人衆 不可勝數 自是年初毎寺 四月八日 七月十五日 設齋

2)『日本書紀』斉明天皇三年秋七月条
三年秋七月丁亥朔己丑 覩貨邏國男二人女四人漂泊于筑紫 言 臣等初漂泊于海見嶋 乃以驛召  辛丑 作須彌山像於飛鳥寺西 且設盂蘭瓮會

【参考資料】
◎塩入亮乗「盆の期間をめぐる問題 ―七日盆を中心として」『佛教文化学会紀要』1997年

◎赤松孝章「盂蘭盆考」『高松大学紀要 33』 2000年


©2023 九條正博(Masahiro Kujoh)
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