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桜と花見と農業と

九條です。

桜咲く季節となりましたね。お花見の時期でもあります。皆さまはもう、お花見はされたでしょうか?

という事で、今夜はほんの少しだけ桜とお花見についての考察をしてみたいと思います。


花見の起源

現在のように桜咲く樹の下で饗宴をする花見の起源については、正確な事は分かっていません。

しかし文献を精査すると、いまから1000〜1200年ほど前の平安時代までは遡れるようです。平安時代には「花」と言えばそれはすなわち「桜」を意味していました。

もう少し時代を遡った奈良時代(いまから1300年ほど前)では「花」と言えばすなわち「梅」であり、奈良時代にも梅の花を愛でながら酒を飲んだりご馳走を食べたり、歌を詠んだり詩(漢詩)を作ったりはしていました。

しかし奈良時代の(梅の花を愛でる)花見は上品なもので、平安時代以降現在まで続く花見のような賑やかな宴(どんちゃん騒ぎ)ではなかったようです。


桜の意味

これは、いまから30年ほど前に民俗学の先生(大学教授)から教えていただいた事なのですが、桜(さくら)の語は、

【サ】
農業神の名前。正確に表現すると名前と言うよりも農業神を表す(農業神を象徴する)音

【クラ】
磐座いわくら神座かぐら(神楽)・高御座たかみくらなどと同じ意味の「クラ」で、神の降臨する場所や神の宿る場所

という意味だそうです。


お花見とは

これらのことから、平安時代から今日に至るまで、春に桜咲く樹の下で宴会を催すという「お花見」の行事とは、

「春に農業神がサクラの樹に舞い降りて花が咲き、その農業神に酒や食物を供えて饗応し、またその農業神と酒や食物を共食(神人共食)して豊作を祈願したり、農業神から豊作の保証を得ようとしていた」

という意味のものであったという事が、歴史学および民俗学などから推定できるのではないかと思います。


©2024 九條正博(Masahiro Kujoh)
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