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祇園祭と御霊信仰

九條です。

今日(2022年7月16日)は日本三大祭のひとつ祇園祭ぎおんまつり宵山よいやまですね。明日(7月17日)が山鉾巡行やまほこじゅんこう

私が大学生の時には、大学が京都市内だったので毎年見に行っていました。同級生の友達が山を曳いていました。

この祇園祭は八坂やさか神社の祭礼で、平安時代に疫病えきびょう災厄さいやくの退散を祈った祇園御霊会ぎおんごりょうえを源流とすると言われています。

具体的には、西暦869(貞観じょうがん11)年に各地に疫病が流行した時、ちょく(天皇の指示・命令)を奉じて当時の国の数六十六箇国にちなんで66本の矛を立てて祇園社ぎおんしゃ(八坂神社)から神泉苑しんせんえん神輿みこしを送って疫病・災厄の退散を祈ったことにはじまるとされています。

平安時代の当時、疫病や様々な災厄は御霊ごりょう怨霊おんりょう)などによって起こされると信じられていました(御霊信仰ごりょうしんこう)。

そして中世の室町時代になると、現在のように特色ある山鉾が各町にあったことが『祇園社記ぎおんしゃき』などに記されています。

また、大阪の天神祭てんじんまつりは、皆さまご存知のように天神様(菅原道真すがはらのみちざね)の霊を鎮めるために行われるものですね。

菅原道真といえば今では学業の神様として知られていますが、もともとはこれもやはり御霊(怨霊)とされていました。これが祀られるようになったきっかけは、平安時代に内裏だいりに落雷して死者が出た事件があり、これが菅原道真の御霊(怨霊)すなわちたたりによるものだと考えられてその霊を鎮めるために祭礼が行われたのだと言われています。

これら祇園祭・天神祭などに現れている御霊信仰は平安時代になってから始まったものとされ、奈良時代以前にその存在は確認されていません。

奈良時代以前にも、もちろん人間にはどうすることもできないような圧倒的な力を持つ神様への信仰はありましたがそれは平安時代の人々の心の中にあった「御霊(怨霊)」などという暗くおどろおどろしい存在の神ではなくて、明るく透明な尊い存在であったと思います。

同時に奈良時代には「れい」という概念は希薄だったのではないかとも思います。奈良仏教(南都六宗なんとろくしゅう)では、伝統的(基本的)に葬儀をしたり死者の霊を祀ったりはしないことからもこれは明らかだと思います。

現在私達が抱く神の概念や怨霊や霊といったイメージは、その多くが平安時代以降に形成されたものと思われます。

奈良時代以前の古代社会のイメージが明るく大らかな空気に包まれていたのに対して、平安時代以降そのイメージに変化があったのは、この間に文化的な大きな画期を迎えたからだと言えるのかも知れません。

【参考資料】
◎桜井徳太郎『民間信仰』塙書房 1966年
◎松崎憲三『人神信仰の歴史民俗学的研究』岩田書院 2014年
◎山田雄司『怨霊とは何か 菅原道真・平将門・崇徳院』中公新書 2014年

©2022 九條正博(Masahiro Kujoh)
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