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階段が主役だった頃

九條です。

大型連休の真っ只中。
今日からは暦どおりの5連休ですね。
皆さま、いかがお過ごしでしょうか?

さて、大きな建物(ビルなど)を垂直方向に移動する手段としては、いまではエレベータやエスカレータがメインに用いられていますね。けれども非常時に備えて必ず階段も設置されています(「建築基準法」「消防法」などの規定)。

エレベータは、1857年にオーチスが世界で初めて実用に耐えうる旅客用エレベータをニューヨークのブロードウェイに設置しました。日本では1890(明治23)年、東京・浅草の凌雲閣(浅草十二階)に初めて旅客用エレベータが設置されました。

エスカレータは、1859年に世界で初めて特許が出願された後に試行錯誤が繰り返され、1900年のパリ万博で実用的なものが出展されてから普及し始めたと言われています。日本では1914(大正3)年に上野恩賜公園で開催された東京大正博覧会の会場に初めて設置されました。

このように、エレベータやエスカレータは日本でも明治・大正時代から知られていましたが、戦前の日本のビルの主役は何といっても階段だったと思います。

古い時代のビルに入ると、正面または非常に目立つところに広くて大きな階段を備えた「階段室」(最近はこのような言い方も一般には廃れてきていますね)があって、ビル内部の美しさや豪華さを際立たせています。

いまでは、エレベータホールやエスカレータ乗り場がビル内の垂直移動の主役の場となり、階段はあまり使われませんね。ウチのマンションでもエレベータホールがメインで、階段室はエレベータとは反対側にあって少し暗い雰囲気です。

以下の写真は、1928(昭和3)年に建てられた大阪の高島屋東別館(旧・松坂屋大阪店)の外観と建物内のメインの階段室[※]です(2022年4月 九條正博 撮影)。

この高島屋東別館は、2021年に国の重要文化財に指定されました。

[※] 下の階段室(建物内)の写真は高島屋東別館さまより撮影および掲載(インターネット上での公開、すなわち私的使用の範囲を超えた不特定多数者への公開)の許可を得ています(2022年4月 撮影前に許可取得)。

高島屋東別館(北から)
高島屋東別館(南から)
高島屋東別館内のメインの階段室(1階部分)

階段が主役だった時代。それはこの国の古き良き時代だったのかも知れませんね。

©2023 九條正博(Masahiro Kujoh)
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