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豊かな神話の世界と古代史

九條正博です。

私は『古事記』や『日本書紀』(とりわけ『日本書紀』)は時々読むのですが、日本神話については、ほとんど何も分かりません。

なので、私をフォローしてくださっている「kikuzirou」さまがご投稿されている一連の記事をとても楽しみにして興味深く拝読しています。

kikuzirouさまは『古事記』『日本書紀』の神話の世界を、とても詳しく楽しく分かりやすく、小説の形にして発表されています。

私は個人的に、神話の時代も含めて歴代の天皇では、第7代孝霊こうれい天皇(とその娘の倭迹迹日百襲姫命やまとととひももそひめのみこと)・第12代景行けいこう天皇(とその息子の日本武尊やまとたけるのみこと)・第16代仁徳にんとく天皇・第21代雄略ゆうりゃく天皇(考古学上でその存在がほぼ確実視されている最初の天皇)・第26代継体けいたい天皇・第31代用明ようめい天皇・第33代推古すいこ天皇(日本史上最初の男系の女性天皇)・第45代聖武しょうむ天皇・第66代一条いちじょう天皇(清少納言・紫式部が仕えた天皇)と、近代では明治・大正・昭和の三代の天皇陛下に関心を抱いています。

なかでも第26代継体けいたい天皇は、第25代武烈ぶれつ天皇(この人はひどい暴君だったと伝わっています)の崩御ほうぎょ後に遠く越前国えちぜんのくに(現在の福井県)または近江国おうみのくに(現在の滋賀県)から連れてこられて皇位を継いだとされています。しかし彼はなかなか(20年近くも)大和国やまとのくにには入れなくて、彼が即位をした場所も大和国ではなくて河内国かわちのくに樟葉くずは(現在の大阪府枚方市ひらかたし樟葉くずは)にあった樟葉宮だと伝えられています。さらに彼のお墓は、大和国や河内国ではなくて、なぜか大きな淀川よどがわを隔てた摂津国せっつのくに(現在の大阪府茨木いばらき市または高槻たかつき市)に葬られたと記されています。

いったい、何があったのか。なぜ、彼はなかなか大和国に入れなかったのか。そしてなぜ摂津国に葬られたのか。尋常ではない事情があったに違いありません。古代史のひとつの謎だと思います。

これからさらにkikuzirouさまのご投稿がとても楽しみでワクワクしています。^_^

※見出し画像は、国史大系版『日本書紀』の一部(継体天皇のくだり)【出典】国史大系版『日本書紀(後編)』吉川弘文館 1973年(九條正博 蔵)

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