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【近代史随想】大阪弁の「どんならん」(動画あり〼)

【はじめに】
九條です。

大阪弁に「どんならん」という言葉があります。最近の若い人達は殆ど使わないようです。現在も使っているのは、たぶん私の世代(50代)が最後なのかも知れません。

この「どんならん」の意味は、「どうしようもない」「どうにもならない」「お手上げだ」という意味で使われます。


【どんならんの使い方】
例えば、雨が何日も降り続いて屋外での仕事ができないような場合、

「こう降り続いたら、仕事にならん。どんならんわ」

という風に使います。これを標準語になおすと、

「これだけ雨が降り続くと、屋外での仕事ができない。(それは自然現象なだけに)どうすることもできないよ」

と言う意味になります。


【どんならんの語源】
この大阪弁の「どんならん」の語源についてですが、大阪の人でも、

「どうにもならない」→「どうにもならん」→「どんならん」

と変化したという風に思われている人が一定数おられるようです。しかし実は、その経緯は違うようです。

以下は、1918(大正7)年生まれの私の祖母から私が直接聞いたお話しです。


【祖母の話】
明治維新の後、まだ時計という文明の利器が一般には普及していなかった時代。日本の大都市では午報(正午の報せ)で号砲(大砲)を撃っていました。もちろん空砲です。

大阪では、大阪城に現在もその時に使われていたとされる大砲が残っています(見出し画像)。

大阪の号砲はものすごい大音響で、大阪市内全域はおろか、大阪城から南へ15kmほど離れた隣の堺市内でも聞こえていたと伝わっています。

この正午の号砲のことを大阪の人達は「ドン」と呼んでいました。


【大阪市による公式な説明】
また、大阪市の公式サイト内には、

明治3年(1870)から同7年(1874)まで朝昼晩の時報として、それ以降は正午の時報として号砲を轟かせた。「お城のドン」として市民に親しまれていたが、大正13年(1924)に中止された。

(大阪市公式サイトより)

とあります。


【参考動画】
復原された佐賀のカノン砲(佐賀新聞/40秒)
※音量注意!


【ドンが鳴らない時】
このドンなのですが、風向きによってはよく聞こえない時がありました。また、お役人(陸軍の人?)が撃ち忘れる事もあったようです(←祖母から聞いた話です)。

そんな時、大阪の人達は以下のような会話をしていたと想像します(以下は私が想定した会話)。

一郎「腹減ってきたな。そろそろ昼やな。じきにドン鳴るやろ」
清吉「昼飯食って、昼からもきばろ(頑張ろ)な」

「・・・・・・・」(しばらく経って)

一郎「おい清吉、ドン鳴ったか?」
清吉「聞こえんかったなぁ」
一郎「まだやろか?」

「・・・・・・・」(さらにしばらく経って)

清吉「あれぇ?ドン鳴らんな」
一郎「ちっ、撃ち忘れよったか?」
清吉「かもしれんなぁ」
一郎「腹減ってあかんわ。もうペコペコや」
清吉「昼しまひょ」
一郎「こない腹減ったら、もうどうにもならんわ」
清吉「ほんに(ほんとうに)、腹減ってドンならん(お手上げだ)わ」

と、このような会話が大阪市内のあちこちで交わされていたと想像します。


【結論】
上記の如く、最初は大阪城で撃たれる午砲(号砲)のことを大阪市民は「ドン」と呼んでいました。

それが転じて「ドン」が鳴らないとお昼ご飯が食べられないので、お腹が空いて「どうにもならない(仕事ができない)」という意味へと変わりました。

さらにそれが転じて、色々なことに対して「どうすることもできない」「どうにもならない」「お手上げだ」という意味で「どんならん」と使うようになりました。

ちなみに、この号砲は1924(大正13)年に廃止されましたが、その理由としては、

◎あまりにも大きな音だったので、大阪城の近く(船場など)に住む人達から市役所や府庁に「うるさい」との苦情が多数寄せられたため。

◎大正時代も終わり頃になると、公共施設内に時計が普及し、街角(おもに時計店)でも時計台を持つ店舗がいくつか出てきたから。

◎火薬(黒色火薬)を節約するため

などの理由が伝わっています。私の祖母は「火薬を節約するために、やめたんやろ」と申しておりました。

さて、三連休ですね。私は明日か明後日は仕事をする予定です(年度末に近づいているので💦)。

皆さま、ステキな休日をお過ごしくださいネ。^_^


©2024 九條正博(Masahiro Kujoh)
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