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[第十一話]Tマジックの謎。

※この文章は、ワンチャン、ツッコミ待ちの文章です。ご注意ください。

Tマジック。
それは、N東高校の私と同じ学年だった子。
ジャスミンちゃんが命名した”奇跡”の名前。
(実際にジャスミンちゃんと仲良くなったのは3年生になってからです。)

それまでの先輩達は、お世辞にも、県総体で上位を狙えるほど、的中の安定したチームではなかったです。
秋〜初冬にかけては、私よりも的中率の低い先輩も中にはいたりして。(的中率が低いからと言っても、下手ではないです。的中てゲームではないので。)
“本当にここは強豪校なのかな?”と言う感じは、正直ありました。

T監督はじめ、元国体選手の数学の先生、五十肩で弓が引けなくなった別の数学の先生……という感じで、教師陣は割とおっかn……実力は確かですが。

無礼上等な物言いをするならば。
先輩を見て、そこまで”めちゃくちゃ上手い”と感じたことがあった記憶は、少なくとも私が1年生の段階ではなかったです。

ところが、先輩チームは、4月になると、いきなり的中し出して。
20射12中いくか行かないかだったものが、安定して……さらに15中安定になり…
次の週には16中。(5月の地区大会の段階ではそれくらいだったと思います。)
県総体位の時には16〜18中程度。
そして、インターハイ出場を決めた大会、都道府県地区ブロック大会位の時には、調子が悪くて16中。17〜18中位安定。

ものすごく短期間でいきなり的中する様になっていました。

何よりも、先輩全員の引分けひきわけかいしゃが大きく変化していました。

ジャスミンちゃん「G高校の先輩達、最後T山マジックだよね!?どういうマジック使ったの!?」

ジャスミンちゃんは、1年生の時から、N東高校のチームの一員として立のメンバーだった選手。
N東高校もまた、優勝争いをする候補の学校だったので、母校をめちゃくちゃ意識していた様です。

Tマジックの正体か……。
T監督は、ここには書ききれない位。
15年以上経った今でもT監督の言葉が強烈に刻まれている位。
かなりいろんな言葉を残している先生なので、多分、射技指導しゃぎしどうの内容だけがTマジックの正体ではないと思うのだけど。

私は1年生の時から、いろんな試合、練習試合、合宿には連れて行ってもらっていましたが、実際に先輩達のたちに入る事は殆どなかったのと。
3人立さんにんだちの重要な試合は、補欠もマネージャーも、立に選ばれなかった先輩達が対応し、私は連れて行って貰えなかったものもいくつかある。
周りの他校生が思っているほど、部内で評価されていた訳ではないのですよ。(苦笑)むしろ、劣等生。

そんな、私の事は、置いといて。

私もTマジックの核となる部分は、理解していません。
実際、1年生秋の選抜予選は私はお留守番でしたし。
1年生の時は、国体選考を兼ねていた大会は、ひとつも出ていない。

2年生になり、春の地区大会〜県総体、都道府県地区ブロック大会まで。
今思えば、これが私の公式戦デビューになるわけですが、その頃には先輩達が何を言っているのか、先生の言葉が何を意図するのか。
先輩に向けてかけていた言葉の数々。
私には言葉の意味は理解できても、真意が理解できなかった事はとても多かった。

今思えば、理解できていなかったことすら、理解できなかった事もあります。



2年の春。

補欠で登録されて、個人戦の出場権はもらえたけれども、自分は、このチームでは、蚊帳の外だという感覚は常にあり、特に県総体が近づくにつれて、ガッツリ置いてきぼりを食らっていました。

自分はここにいていい人間なのか?
他の人とお留守番をしていた方がいいのではないか?
…どんどんと調子を上げて、チームとしてのまとまりが出てくる先輩達を目の前に”場違い”と言う言葉が常に頭の中にありました。


T監督の言葉を真の意味で理解していた人達にとっては、T監督の言葉、一挙一動がTマジックだったのかも知れない。
多分、Tマジックを完成させる要素は、ひとつではないと思います。

以下、射技指導に絞って、私が見たものを書きます。

射技指導でT監督が先輩達にやっていたこと。
これは、射技的な意味でかなり大きな変化をもたらしたのは間違いないかな?と、当時から思っていたことがあります。

3月下旬くらいだったか。
先輩達が的前練習をやる時、大三だいさん〜会の動作に入ると。
大三だいさんとは:打起しうちおこしの後、弓を3分の1だけ弾いて止めた状態。

手の内と弓の境目、馬手めての肘に手を突っ込んで(図の青丸部分)

矢印方向(的と反対側← →的側)に、大きく引っ張る。(開く)

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という事を、女子の先輩達が的前に入るたびに、繰り返し1〜2週間。
人によっては1ヶ月近く。
先生自ら続けてやっていました。

当時は”凄い荒療治を連発しているな”程度にしか、思っていませんでした。

多分、こんな事を毎回的前に立つ度にやられていたものだから、身体で”中る射あたるしゃ””中る伸びあたるのび”を先輩達は教え込まれたのだと思います。

後は、細かい射技指導もあったような……

普通の事じゃん!!と、これを読む人の中にはいると思います。

“的に向かって押して、的と反対側た引っ張れば中る。”
全国大会で、技能優秀者賞を取った年の部長が遊びに来た時にそんなことをおっしゃっていました。

当時、T監督に射技指導を貰うのって、私にとっては結構難易度が高かった。
それは、先輩達の中にもそう感じていた人はいたようです。

事射技においては、同じことを何回も言って、何回も教えてくれるタイプの先生ではないので。
同じ事を繰り返したり、射技以前のことに問題があり、それが改善されないと、改善されるまで放置される傾向がある。

要領が悪くて、理解していないことすら理解していない事が多い私にとっては、とてもとても難しい先生でした。
(先生自身も”0w0(仮)との相性は悪い”と、陰で言っていたのを聞いた事があります。私はそれを鼻歌歌って聞かなかったことにしていましたが。)

そして、当時は先生の言葉の数々……
理解していない事すら理解していない事にすら気づけない自分だったので、なおさら”射技指導”という意味では、ひとり放置される事が多かった。

先輩達も、ある時期までは、先生にガン無視されていましたし。

やる気のある1年生や、よく的中させる1年生をT監督は可愛がる傾向がある、と私は感じていました。
私も夏くらいまでは可愛がられていた方だと思うので、先輩達はそんな私を見て悔しがっていたり、嫉妬したり競争心を燃やそうとする先輩も中には居たりして。

それがいいか、悪いかは別にして。
その先輩の嫉妬心を引き出すことも含めて、T監督の指導方針なんだと、捻くれ者の私は思っていました。

腹の中で「(流石、強豪校は違うなぁー。)」と、皮肉を一人で言いながら。(←態度には出してないはず…)

そんな感じだったので、“射技指導本気モード”のT監督を引き出すことの出来るような、弓道をやる以前の変化を、当時の先輩達はひと冬の間にしていた、という事だと、私は認識しています。
…これを凄いと感じる感情は、誰とも共有できないことの一つだと思います。


思い返せば、1年生の秋口は、何やら先輩だけでミーティングする事は多かったですし。

先輩が練習を終えて、全員揃うと、部室から追い出されることも、しばしばあった。
(ここで、私は追い出される前に出ていくのが正解だったのですが、当時はそのミーティングに自分は参加しなくていいのか?という疑問があった時期もあり、残ろうとしていた時期もあった。誰にも相談できないから、自分で判断するしかなく、間違った選択を連発♡それがKYだと判断されていたようです(笑))

先輩達が何やら思い詰めた表情をする事も、私に強く当たってくる先輩も居たりした。
(そういう人はそういう人なんだと、受け流していましたが。)

一緒に帰っていた先輩も口を開けば「ヤバい、ヤバい」と言いまくってはいたし。
ヤバい内容を教えてくれる事はなかったので、私は何がヤバいのかは理解不能でした。


肝心なところは先輩達も話してはくれなかったので、秋に何があり、どういう結論に至って、冬以降、何がT監督を動かしたのかは、私には計り知る事は出来ませんし。


卒業した後に、何度も先輩とは遊んでいますが、やはりその内容を聞き出すには、現在にも至っていないです。

もっとも、今でも私と遊んでくれるような先輩は「そんな昔のこと、忘れたよぉ〜!!」
と、逃げそうなので、あえて私も聞き出しはしません。

…どうでしょうか。
万が一。億が一、これを読んでいる母校の弓道部の方がいらっしゃり。
“全然ちげーわ!!解ったような事言うんじゃねぇ!!”
と、突っ込んでくださる方(できれば女子の先輩)いらっしゃれば、ツッコミお待ちしています。


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