乱暴な言葉は、たとえ口に出さなくても自分の魂を傷つける。…らしい。と言う話でもしてみよう。
この言葉を吐いていたの、昔の私。
平気で笑いながら、そんな事を言ってた時期もありました。
小学生の頃から「死ね」とか「キモい」とか言われ過ぎていた私は、感覚が麻痺していたんだと思う。
初めの頃は、他人に投げられるその言葉にいちいち傷ついて家に帰ると泣いていたのだけど、いつの間にか自分もそんな言葉を使うようになってしまっていた。
今思えば、自己防衛の1つなのだけど。
大人になるにつれ、私にこんな言葉を向ける人は少なくなっていったのに、私は結構いつまでも乱暴な言葉を笑いながら、日常的に使っていた。
度々誰かに「冗談がキツい」と言われながら、その意味を理解できず、高校を卒業しても、いつまでも極めて乱暴な言葉遣いをしてしまっていたのだ。
20歳を過ぎた頃。
当時の私は様々なビジネス書や啓発本、人間関係を円滑にするための本を結構読み漁っていた。
みんなと仲良くなりたくて、凄く勉強を沢山していた時期でもある。
著者の主催のセミナーにも何度も足を運んだ。
その過程で、少しスピリチュアルの領域を専門としている方のお話が今でも残っている。
自分には、この言葉がすごく刺さった。
確かに、当時の私はいつでも何かに傷ついていた。
別に誰かにいじめられてる訳でもない。
毎日誰かと一緒にご飯を食べて、お酒を飲んで、時には地元企業の社長さん達と遊んで貰って。
交際している人もいて。
客観的に見ても、人生をエンジョイしている状況だ。
何も病む要素なんてないはずだ。
だけどいつも自分の中には、渦を巻くような良くない感情が同居していて、そんなものに強い痛みを感じていた。
同時に、当時遊んで貰っていた社長さんの言葉も思い出した。
確かに言葉が乱暴になっているほど、私はリストカットを繰り返していたり、暴れがちにもなっていた。
乱暴な言葉を言ってしまったり、紙に書いてしまうのは一種の自傷行為…あるいは自傷行為を増長させてしまう行為ではないのか?と、今では思う。
その日以降だ。
他人に対して「バカ」「死ね」「頭おかしい」そんな言葉を言葉や紙に吐き出す事を少しずつ辞めていった。
自分の中に渦巻く暗い何かが消えた訳ではないけれど、その中に混ざっていた刃物や棘のようなものは、非常に多くの時間をかけて徐々に消えていった気がする。
だから前はいつでも、チクチク痛みを感じていた何かが同居していたのだけど、今は痛くない。
時は経過し、私がピアノを1曲弾き終えると、別の人がいきなりこんな事を言い出した。
…その直後に「私は言われた事ないけれど」と、笑っていたけどね。
今年、東京都の都知事選で、普段から正論を傘に乱暴な言葉をSNSで吐き出すような人が立候補していた。
当然、その候補者の支持者も同じような属性の人達ばかりだった。
私は個人で趣味でやっている範囲であるならば、個人のSNSやブログで何を言っていても、いちいち反対意見は言わない。
誰かを誹謗中傷していたり、名誉を傷つける内容であれば、自分にとって関係性を大切にしたいと思える相手なら、忠告くらいはするかもしれないけれど。
基本的には、私は他人が何を吐き散らかしていてもそれに対して自己主張はしないし、相手のアカウントのコメント欄で議論することはしない。
だけど発信する言葉遣いが乱暴なモノを見ると痛みを伴う。
だから私は理論や主張どんなに正しくて正義感を感じても、乱暴な物言いをする人は支持しないし、視界に入れないようにし、耳を塞いでしまうのだ。
聞かされる方は悪影響を被ることになるのはもちろん、言ってる方も、自分の吐いた言葉の傷の痛みで、どんどんおかしな思考回路になるからだ。
しかもその痛みって、言葉を発してる時ってあまり感じないから厄介なんだよね。
…と言う訳で。
インフルエンサーや有名人にも多い傾向。
強い言葉は人を惹きつける事もあるけれど、ちょっと気をつけたほうがいいかもね。
…と思う話なのである。
あくまでも私の思想や信条の話。
何かひとつでも刺さるものがあった人は参考にしてくれ。
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