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MIMMIのサーガあるいは年代記 ―41


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第 四 章

王の帰還(1)  ーお爺さんの咆哮ー

「あなた、起きて下さい」
 お婆さんは、スポットライト式照明スタンドをともしたまま、机にうつ伏せで酔いつぶれて寝ているお爺さんの肘をゆすりました。彼女の後ろにはサンチョがおどおどした表情で棒立ちに控えています。
「お耳にいれたいことがあるんですよ……目を覚ましてください」
 彼女は一層強く肘をゆすります。ありふれた声かけなのに、彼女の声音は張りつめ、あたかも湖上の氷を踏み歩くような用心深さがうかがわれました。
 
 お爺さんの書斎のなかです。外光をブラインドと厚いカーテンで遮光し、光源といえば天井と扉脇の非常灯、それに卓上のスポット式照明スタンドだけです。照明スタンドは強いが範囲の狭い光束をお爺さんの頭部と白い書類、それにウィスキーの空瓶二本ばかりを浮き上がらせ、お婆さんはその光と闇の端境(はざかい)からお爺さんに手を伸ばしているのでした。
 お爺さんは黙って身をおこしましましたが、ほとんど覚醒していません。周りを見まわし、声をかけたお婆さんの方を見上げましたが、半分闇に隠れた彼女を見分けることができませんでした。

「喉が渇いた」と、呂律が回らない掠れた声を上げ、口元のよだれをガウンの袖で拭います。
「サンチョ、冷えた水を持ってきて。水差しにたっぷりよ」と、振り返って頼みます。彼は将に脱兎のような素早さで部屋を走り出ました。
 サンチョが氷水入りのピッチャーとコップをお盆に載せておずおずと戻ります。
「これを一気に飲み干して頭をすっきりさせてから、わたしの話を冷静に聞いて」と、グラスに氷水を注ぎながら喋ります。
「大変なことが起きたのです。桃子が待ち伏せにあって、銃で撃たれました。ですが命に別状はありません」
 お爺さんは彼女の言った内容が理解できません。二日酔いのせいばかりでなく、そんな異常を理解できなかったのです。まるで宇宙船が裏庭に着陸し爬虫類型宇宙人がぞろぞろと出て来た、と言われたようなものですから。
 
「なんだって? 何が起きたったって?」
「けさ桃子の命が狙われたの」
 二杯めの水を飲み干すと、お爺さんはすこし我にかえりました。
「ワシを起こすための悪い冗談か。手がこんでるな」
「本当のことです。今朝大阪市内へ向かう途中で襲われました。桃子の命に別状はありませんが、小さな傷をいっぱい負ってます」
「……」
 お婆さんの言葉が彼の頭の芯にしみこむには、冷水が胃の底にまでたどり着くよりずいぶん長い時間がかかりました。
 
「確かか? 桃子は大丈夫なんだな。誰がやった? そいつらを殺してやる!」
「桃子は大丈夫ですが、オフィーリアとホセが亡くなりました。ほかは全員重軽傷です。襲った連中はほとんど死にました」
「桃子は今どこにいる? ケガはどうなんだ、詳しく話せ」
 お婆さんは、桃子が知り合いの病院に入院していること、桃子の傷数は多いがすべて軽傷であること、などを詳しく説明します。また彼女は、襲った者がプロの傭兵らしいこと、人数は五十人前後、銃撃戦の経過などをあらまし伝えました。そうです、お婆さんが彼に報告したこの時点では、未だ桃子が自動販売機の角に強烈な頭突きを喰らわして大流血する前のことですから、二人とも比較的落ち着いた会話ができたのでした。
 闇に目が慣れてきたお爺さんが、サンチョの姿を認めると、険しい声で銃撃戦の様子を詰問しました。
 
「サンチョを責めないで。サンチョは桃子と一緒にはいませんでした。彼は桃子らを救出しにいったのです。……サンチョが遅れていたら、桃子は……、むしろ彼を褒めてください」
 お婆さんの説明に彼はしだいに追いついていきます。そうして考えを纏めているようですが、上半身は前後左右にふらついています。
 彼は揺れながらも急に立ち上がりました。

「熱い、濃いコーヒーとトマトジュースをポットいっぱいにして持って来い! ボリュームったぷりの朝食もだ。熱いシャワーを用意しろ。床屋を呼べ! 髪と髭を切る。それから新品の背広とシャツを用意しろ。急げ」と、叫びしました。酒酔いを急いで醒まし、不摂生で失った体力と知力を回復しようとしたいのだ、と室内の他の二人にはすぐ分かりました。
 
 ですが、彼はまだ残っている酒酔いにあがなえずに、椅子に倒れ込むとさらに続けます。
「カーテンと窓をあけろ。それと天野に資産関係の資料を揃えてすぐに来させろ! ロドリゴも呼び寄せろ、どんなに重傷でも連れてくるんだ!」
 ここまで聞くとサンチョは全速で走り出ました。お婆さんは、外光を遮っている分厚いカーテンを引き開けブラインドを引き上げると、これまた分厚い完全防音、防弾ガラス窓を開け放ちました。呪わしいくらいに強烈な盛夏の陽射しと乾いた風が、長い間締め切られていたこの部屋の澱んだ空気を一掃しました。つづいて、盗聴防止装置もいらないくらに喧しいアブラゼミの鳴き声と、青臭い草いきれが波打って室内を侵します。
 急な夏の熱風と陽射しを浴びて二人は逆に、突然の寒風を浴びたように身を震わしました。

 お爺さんは、ピッチャーに直接口をつけ、冷水を飲み下します。
 つづいて彼は、机上の雑多なもの、酒瓶、書類の山、筆記用具、キーボード、コップなどを前腕で払い落としました。すっきりした机に両手をついて立ち上がり、咆哮しました。
「桃子を襲った奴らを懲らしめてやる! そいつらの黒幕も絶対許さんぞ!」
 この彼の叫びは、窓を開いていたので、蛸薬師小路邸の敷地内にとどまらず近郊にまで響き渡り人々を震え上がらせた、ということです。
 お婆さんは、夏の風にはためく薄いレースのカーテンを払いのけながら、亭主の後ろ姿を黙然として見守っています。
『酔いから醒めたお爺さんはこれから一騒動を起こすにちがいない……桃子のために……。彼を覚醒させたのが本当に善かったのか』と、疑いながら。

  (つづきます)

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