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満たすモノ|ショートショート

 ぺろり、と上唇を舐めた。生クリームの味。昔あんなに大好きだったのに、今ではちょっと重いなと思う味。
「でね、どう思う? もうほとんど1年もしてないの」
 目の前に座る彼女は、あたしと同じものを飲んでるはずなのに生クリームが上唇に付かない。器用だからなのだろうか。
「1年かー。それは長いね」
 かく言うあたしは、ほとんど1年恋人もいない。彼女が左手で飲み物を手に取った。薬指の指輪がきらりと光る。自慢のダイヤモンド。
「こども欲しいのに、こんなんじゃ困る」
 くいっと寄せられた眉。そろそろ結婚して1年が経とうとする彼女は、ということは結婚してからイタシていないということか。自分ではなにもしないけれど彼氏は尽くしてくれる、と誇らしげに話していたのが、つい昨日のことのようなのに。
 結婚してから格段に薄くなった化粧。むしろほぼ素顔と言ってもいいだろう。そしてふくよかになった体型。
「どうしたらいいと思う?」
 小動物のようなつぶらな目で問われて、答えに窮する。
「……あたしに訊く?」
 苦し紛れに発した、やや呆れ口調のあたしに対し、彼女は得心したように頷く。
「そうだよねー。いい人いないの?」
 あたしは黙って、溶けた生クリームを啜った。肯定も否定も返したくなかった。
「あ、そろそろ旦那帰ってくるわ。帰らなきゃ」
 彼女は慌てて帰り支度を始める。全身から充実しているというオーラが漏れていた。それを横目にコートの袖に腕を通す。
 改札まで彼女を送り届け笑顔で手を振った後は、すぐにワイヤレスイヤホンを耳に差し込んだ。

 羨ましい、のだろうか。

 自問して首を振り、2日前の記憶を思い起こす。暗い室内、ベッドの上であたしを抱き締める腕、肌を這う手の感触。あたしの中に侵入する固くて熱いモノ。アレなしであたしはきっと生きていけない。

 かつて愛した生クリームのように、結婚も家庭も、今のあたしにはちょっと重い。身軽に流されて生きていく。その方があたしらしい。


――事実? 真実? 虚勢? 合理化?


 そんな声が聞こえた気がして、あたしはイヤホンをぐっと耳に押し込んだ。

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