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毒の酸素 ~ショートショート~

 わたしはきっと、いつになっても思い出す。未来がないと知りながら、君に溺れたあの季節を。空気の匂いが変わる中で、それでも変わらなかったわたしの心を。その心を見つける君の瞳の輝きを。その輝きに熱くなって焼けた、そしてついに焼け切れた、わたしの想いを。

◇◆◇◆

 出会ったのは春だった。初対面の場に遅れてやってきた君は、はじめましての挨拶もなく唐突に話を始めた。
「俺、料理できる人ほんまにすごいと思うねん」
 わたしは目が点になっていたと思う。けれどその言葉を皮切りに、彼はぐいぐいとわたしの心に入ってきた。抵抗することはとてもできなかった。わたしはいつでも、長い物には巻かれて生きてきたから。


 次に出会ったのは夏になろうとする頃だった。
「なんか久しぶりやな~」
 呑気に声をかけてきた君に、わたしも呑気に同じ挨拶を返した。君は少し首を傾げて続けた。
「元気ないやん」
「え? そう?」
 わたしは笑った。確かに笑った。なのに。
 君はどうしようもなくまっすぐにわたしを見つめた。
「うん。元気ない気ぃする。どうしたん?」
 よく知りもせえへん人間に何が分かるん、とか、たいした知り合いでもない人間に詮索されたくないわ、とか、いつものわたしだったら感じるはずの反発が起きなかった。それはきっと、タイミングの悪戯だ。
「あはは。実はさ~」
 そうやって笑ってごまかしながら伝えたわたしの話を聞いて、君は一切笑わなかった。わたしを見つめたそのままの表情でぽん、とボールを投げるように言った。
「無理して笑わんでええで」
 それは、だれからも言われなかった言葉だった。労いの言葉も心配の言葉もたくさんもらったはずなのに、言われてはじめてそれがいちばん欲しかった言葉だと気付いた。呼吸するために必要な、酸素みたいな言葉だった。
 ありがとう、と言うのは違う気がしたから言わなかった。
 このとき、わたしは長い物ではなく君に巻かれたんだ。酸素はわたしを呼吸させて、燃やすためのものになった。


 夏になって、君は悩んでいた。わたしはその悩みを聞いた。君が話すのはわたしが知らない世界の話だったけれど、人間という生き物についてわたしは知っていたから。君は泣いた。泣いた君をわたしは慰めた。
 君は温かくて無防備で疲れていた。わたしにしがみつく君の力は強くて、貫く熱は固かった。
 わたしを抱いたのは君だけれど、心はわたしが君を抱いていた。
「俺どうしたらいいん」
 君は呟くけれど、わたしの出す答えなんて求めてないってこと知ってた。
「やっぱ人に慰められるって大事やな」
 満足気に呟いて、放心したように眠りの世界に旅立った君。わたしは君を慰められたのだろうか、君の望む通りに。


 秋の冷えた風が吹く頃には、いったい何で繋がっているのかわからない関係に足を踏み入れていた。ただ会って笑い合う日々。たまに身体を重ねて、でも重ねない時の方が多くて。
 君に会わないと酸欠になった。どの景色を見ても君を想って、中毒のように君を求めた。触れ合う距離に発熱して、狂ったように心臓を焦がした。見えていない部分が浮かびあがるくらい、見つめ合った。


 冬になって、君はわたしからの言葉を求めるようになった。
「俺に会えへんくてさみしい?」「俺すごくない?」「俺がおらんくてどう?」
 そのすべてにわたしは、彼の望む言葉を返した。わたしが返した言葉は全部本当のことだったけれど、それが事実の全てってわけじゃなかった。
「俺んとこ来いよ」 
 ついにもらったその言葉にわたしは微笑んで、心で泣いた。
 時間が経ちすぎていた。与えられた酸素が飽和して、わたしの熱は燃え尽きてしまった。ずっと一緒にいるのは到底無理なことなのだと理解できるくらいには、灼かれた視力が回復していた。

◇◆◇◆

 今わたしの隣には、別の人がいる。彼でいっぱいだったわたしの心に、するりと入り込んだ美しい人が。緩やかな毒を持つその人が、わたしの心を満たしつつある。
 彼ではなくこの人との未来を見たわたしは、それでもきっと彼のことを忘れない。一度は盲になるほど燃え上がった炎を、焦げ跡の残った心臓を、焼き切れた心を、あの季節に流れた匂いを。
 隣の人はわたしを見て、目を細め温かく笑う。わたしは穏やかに落ち着いて、心臓を温めるぬくもりに身を任せる。

 願わくばこの人とずっと共に。毒を身に宿すわたしとそのわたしを射たこの人で共に。


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毒は毒を中和する。毒を持つ身にとって毒は薬、な話。

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