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【リサコラム】#17 それは言うべきか、言わざるべきか?

最近受け取ったメールに、相手の言葉に何か小さくも鋭い引っかかりを感じたことがあった。もっと具体的に言うと、「なぜそれを言う?なぜその一言を最後に付け加えた?」といったこと。勿論、相手は意図なく、何気なく書いたと思われる。

​もし、自分が通常モードであれば気にならなかったのだが、(………いや、そうではないかもと多少疑いつつ)しかし、まさにその瞬間、ワタシ自身も同様のことに対して困難なり痛みなりを感じる不安定状態あったが故に、相手の言葉に対し「わかってくれているよね?理解してほしい。」といったメッセージを勝手に感じ取り、それを押し付けられたような反応をしてしまった、ということ。

​ここで話が変わる。

​巷では「言いたいことが言えない夫婦」のことを「仮面夫婦」と呼び、「どの夫婦も諦めて暮らしている」と書かれているのを見かけた。事実そうなのかもしれないが、正直、その点については今は興味がない。ここで気になったのが、そもそも、「言いたいこと」には大きく分けて「言うべきこと」と「言わなくていいこと」の二つがあり、それが判別できていないのでは?ということ。

​「言うべきこと」は、絶対に相手に知ってもらう必要があることで、必要な情報の共有という目的、相手との関係性の構築・向上・確認という目的と言える。一方、「言わなくていいこと」は、自己満足のためであり、その目的の遂行のために他者(観客)を求める。

​「言いたいことが言えない」とは、この二つを判別する能力が乏しい、或いは、面倒だから全部言わないで我慢、省エネ志向に至ってしまった、そういった状況のことだと思われる。

​そう考えると、「言いたいことが言えない夫婦」を「仮面夫婦」と表現するのは変な気がする。そこには、かつて「言いたいこと」があったかもしれないが、放置や我慢が続いて鈍化、もはや相手に「言いたいこと」がない夫婦というイメージがワタシにはあるからであるが、仮面のことを言っているのか、それとも傍からは状態の知れない仮面の下の顔のことを言っているのか……、そんな疑問が湧いてきたが、まぁそれは放置。

​で、どう判別するか?の話。

​その「言いたいこと」を言わないと、気が済まない。
その「言いたいこと」を言わないと、先に進めない。

​自己満足のための言いたいことなのか、より良い方向に進むためのステップなのか? もし後者であるならば、適した然るべき方法で絶対にそれを相手に伝えなければならない。前者であれば、観客を求めずに自分を満足させる方法を探すことがいいと思われる。(意外にも、すんなり観客になってくれる可能性も無きにしも非ずなので、思われるとそう書いてみたが、​「言いたいことが言えない」関係であれば、そんなチャレンジ的努力はそもそもしないだろう…。)
既に良好な関係であれば、そもそも「言いたいことが言えない」といった問題は生まれないだろう。とはいえ、何かがきっかけで発言の詰まりを感じることはあるかもしれない。その時はこうした観点から眺めてみては如何だろう…?

​で、ワタシが受け取ったメールの引っかかりの話に戻る。

​受信者のワタシは「なぜそれを言う?なぜその一言を最後に付け加えた?」と反応。送信者側の意図は、自分の気が済まなかったのか、前に進むためだったのか、こちらからは判別不可。
自分の反応を振り返ってみると、既にあった関係に、ワタシが一歩下がることで距離を追加した感である。またその関係自体、相手を受け入れるという受動的なベクトルではなく、相手を理解するという能動的なベクトルによる関係性であることを再認識。

「受け入れ」と「理解」は逆であり、自分は果たしてどちら側が得意なのか、そうした理解を確認する機会になった…というそんな話。

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by リサ@サブミッシブ



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