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【衝撃】ウクライナでのホロコーストを描く映画『バビ・ヤール』は、集めた素材映像が凄まじすぎる

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ウクライナで起こったホロコースト(大虐殺)を、当時の映像を再構成することで浮かび上がらせる映画『バビ・ヤール』の衝撃

使われている映像素材がとにかく凄まじい

本作で扱われているのは、第二次世界大戦中にウクライナで起こったホロコーストとして知られる「バビ・ヤール大虐殺」だ。ユダヤ人が無惨に殺された痛ましい事件であり、本作を観るまでその存在さえ知らなかった私のような人が観るべき映画だと思う。

しかし、「バビ・ヤール大虐殺」そのものに触れる前にまず、本作の構成とその特異さに触れておくことにしよう。

本作『バビ・ヤール』は、「かつて撮影された白黒の映像を繋ぎ合わせて作られた映画」である。現代を生きる誰かにインタビューするシーンなどは一切含まれず、最初から最後まで「戦中戦後に撮られた映像」のみで構成されているというわけだ。

私はこれまでにもそのような構成の作品に触れてきたし、全編過去映像ではないが作中に古い映像が混じる構成のドキュメンタリー作品も結構観たことがある。しかし、本作で使われている映像はちょっと別格だった。「こんな映像が存在するのか!」と驚かされるようなものばかりだったのだ。

シンプルに驚愕させられたのは、公開処刑で一斉に首吊りが行われるシーンである。凄まじい映像が残っているものだなと感じた。また作中には随所で、「ハエがたかる死体」や「死体をモノのように扱って死体置き場へ放り投げる様子」のような映像が使われている。何とも凄まじいインパクトを与える映像ばかりだ。当然、それらにも驚かされたのだが、実はそれだけではない。

例えば、説明がほぼ無い作品なのでその行為の目的は不明なのだが、「人々がスコップで地面を掘り返している映像」なども印象的だった。何故なら、「わざわざこんなシーンを撮っておこうと考えた人がいたのんだ」と感じさせられたからだ。水路でも作っているのか、地面を細長く掘り返している。スコップを持つ人の中には男性だけではなく女性もいて、しかも下着姿に見えるような半裸の女性もいたりするのだ。そんな映像を何故撮影していたのか不明だし、それを残しておこうと考えたのも不思議だと感じた。

また、映画の後半には裁判を映した映像も出てくるのだが、これもまあよく残っていたものだと思う。もちろん、有名な人物が被告となる裁判の映像が残っていることは何の不思議もないが、本作で映し出される裁判は、著名な人物のものではないのだ。この裁判は、「バビ・ヤール大虐殺」から5年後ぐらいに行われた。その時点ではまだ、「バビ・ヤール大虐殺」が後世どのような評価をされるのかまったく不透明だったはずだ。そのような時代に、「この裁判は記録に残しておくべきだ」と考えた人物がいたわけで、そういう背景を踏まえると、現代まで残っていることが驚きである。

さらに、撮影手法にも驚かされた。作中には、「低空で飛ぶ飛行機の中から撮影されたのだろう映像」や「壊滅状態の街をまるでドローンで撮影しているかのような映像」もある。それらは、白黒であることを除けば、とても現代的な映像に見えた。このように本作ではとにかく、使われている素材そのものに対して、「よくこんな映像が残っていたものだ」と感じさせられたのだ。

映画を観ながら私はそう思っていたのだが、上映後に行われた、東京大学大学院教授によるアフタートークの中でも、登壇したソ連研究者・池田嘉郎氏が同じように語っていたので、学者の視点からも衝撃的な映像なのだと理解できた。池田氏によると、本作『バビ・ヤール』の監督セルゲイ・ロズニツァは、図書館等にあるアーカイブだけではなく、個人収蔵の映像も自らの足で探し出して本作を完成させたのだそうだ。個人収蔵のものも多くあるのなら、「こんな映像が存在するのか!」と感じるのも当然と言えるかもしれない。

そんなわけで、とにかく「素材の映像」が凄まじい作品だった。

さて、先ほども少し触れたが、本作は映像についての説明がほぼない。そのため、戦時中のヨーロッパやユダヤ人を取り巻く状況などについてかなり知識を有していなければ、映像だけ観ていても、「今何が行われているのか」「1つ前の映像とはどう繋がるのか」などを理解することは難しいように思う。少なくとも、私は把握できなかった。しかし、これは決して非難ではない。良い捉え方をするのなら、「説明が少ないお陰で、映像そのものが持つインパクトがストレートに伝わった」とも考えられるからだ。とはいえ、「内容の理解」という点で言えばやはり「説明不足」であると指摘せざるを得ない。私は正直、上映後のアフタートークを聞いてようやく、映画全体で一体何を描こうとしていたのかが理解できたような状態だった。

本作を観る場合、「映像だけ観ても意味が分からないかもしれない」という覚悟を持っておくことは必要かもしれない。

「バビ・ヤール大虐殺」だけではなく、そこに至るまでの過程を描き出す作品

本作の焦点が「バビ・ヤール大虐殺」にあるのは確かだが、この事件だけを描き出す作品なのではない。映画では、「バビ・ヤール大虐殺」に至るまでの長い長い過程が描写されるのである。正直、この点には驚かされた。なにせ先述した通り、本作は「過去映像を繋ぎ合わせただけの構成」なのだ。どう考えても映像資料が乏しいはずの時代に起こった出来事を、集めた映像だけを使って再構成するのはかなり困難だったのではないかと思う。

さて、ロシアによるウクライナ侵攻に関する報道でよく耳にした話なので知っている人も多いとは思うが、ウクライナという国は元々ソ連の一部だった。ソ連崩壊と共に独立を成し遂げたわけだが、映画で映し出される時代はまだソ連のままである。作中では、「ウクライナ・ソビエト社会主義共和国」という表記がなされていた。

映画は1941年6月から始まる。しばらくするとナチスドイツに占領されてしまうのだが、首都キエフ(今は「キーウ」と呼ばれている)では「解放者ヒトラー」として歓迎されていた。詳しい状況は不明だが、もしもウクライナがこ既にの時点で「ソ連からの独立」を望んでいたのなら、「『ヒトラーがソ連からの独立を実現させてくれる』ことを期待し歓迎していた」という解釈も出来るかもしれない。その辺りのことは詳しくないので何とも言えないのだが。

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