見出し画像

【天才】数学の捉え方を一変させた「シンメトリー(対称性)」と、その発見から発展に至る歴史:『シンメトリーの地図帳』

完全版はこちらからご覧いただけます


数学における超重要概念「シンメトリー」とは何か

「シンメトリー」は、実は身近に存在する

この記事では、「シンメトリーとは何であり、その研究がどのように展開されていったか?」について書いていく。しかし「シンメトリー」そのものの説明の前に、「シンメトリー」が我々の日常に関係していることを示そう。例えば、こんな文章には興味を惹かれるのではないだろうか。

さまざまな研究の結果、われわれ人間においても、シンメトリーが強い人間のほうが早くセックスをはじめることがわかった

また、こんな風にも書かれている。

動物たちもまた、鏡映シンメトリーに引かれてきた。なぜなら、体のシンメトリーがとれていると、運動能力が高くなるからだ。シンメトリーは、完璧にバランスの取れた形と結びつくことが多い。ほとんどの運動能力において、シンメトリーなほうが、前進する力を効率的に生み出すことができる

「シンメトリー」は「対称性」という意味であり、「対称」であればイメージしやすいだろう。半分に折っても同じ形なら「線対称」だし、回転しても同じ形なら「回転対称」だ。この記事で取り上げる「対称性」は、決して「モノの形」に限る話ではないが、モノの形とも関係する話だ、と考えると捉えやすいかもしれない。

自然界にも、「シンメトリー」は溢れている。

ミツバチの視覚はひどく限られている。(中略)ただひとつ、この縁の厚いメガネをかけたミツバチの目に強烈に焼き付くもの、それがシンメトリーなのである。
ミツバチは、六角形の形をしたクレマチスの花や、放射状に花弁が並ぶデイジーやヒマワリといった回転シンメトリーな形を好み、一方マルハナバチは、ランやフォックスグローブやマメ科の植物といった左右対称な鏡映シンメトリーを好む

そうはいっても、シンメトリーを手に入れるのはそう簡単なことではない。植物が懸命に努力し、貴重な自然資源をシンメトリーに振り向けない限り、ランやヒマワリのような美しくもバランスのとれた形は生み出せない。美しい形は、いわば贅沢だ。植物のなかでもっとも健康でもっとも生存に適した個体だけが余分なエネルギーを持っていて、それをバランスの取れた形を作ることに振り向けられる。つまり、シンメトリーな花のほうが個体として勝っているからこそ、蜜をたくさん作ることが出来て、そのうえ蜜の糖分も多くなる。シンメトリーは甘いのだ。

要するに、「ミツバチは、シンメトリーを見ることができるメガネを掛けている。そんなミツバチに見つけてもらうために、植物はシンメトリーの形に進化した。その形は、人間にとっても美しく見える」ということだ。「シンメトリーは甘いのだ」という表現は、すごくいいなぁと感じる。

さてこのシンメトリーは、科学研究においてもかなり重視される。有名な例は、アインシュタインだろう。本書の訳者があとがきでこんな風に書いている。

アインシュタインは、これを受けてさらに考えを進め、できあがった理論や法則や方程式に結果として対称性が生まれるのではなく、逆に、対称性があるという前提に立つことで、自然法則や方程式が得られる、と確信するようになった。この決定的な発想の転換から生まれたのが、一般性相対性理論なのである。こうして20世紀の物理学は、まず対称性ありきで前進することとなった

つまり、「自然はどうもシンメトリーに支配されているらしい。ということは、新しい仮説を考える時には、『自然界はシンメトリーを好む』という前提に立って考えよう」という発想が生まれ、それによって実際に大きな成果を挙げられるようになっていった、ということである。

我々がこの世界を正しく捉えるために、「シンメトリー」は欠かせない武器だということだ。

「シンメトリー」への理解は、「方程式の解の公式」から発展した

そんな「シンメトリー」は、科学ではなく数学の世界で発展した。その発端となったのは、自然界の深遠な性質と結びついているなどとは到底考えられないようなものだった。

それが、「方程式の解の公式」である。

皆さんも学生時代、「2次方程式の解の公式」を習っただろう。a,b,c,x,yと√(ルート)が入り混じったよく分からない式だ。かつて数学者は、このような「方程式の解の公式」を懸命に探していた。数学者の奮闘により、3次方程式、4次方程式の公式は発見されたのだが、5次方程式でつまずいた。優秀とされたどんな数学者も、5次方程式の解の公式を見つけることができなかったのだ。

この問題に、まったく別の光を当てたのがアーベルという天才数学者だ。彼はなんと、「5次方程式の解の公式は存在しない」と証明したのだ。

この証明は、現在では画期的なものと評価されているが、当時は違った。アーベルはノルウェー出身であり、当時ノルウェーは周辺諸国から孤立していた。学問の中心であるパリからも非常に遠く、アーベルは自らの成果を認めてもらおうと奮闘したものの、それには恐ろしく長い時間が掛かった。アーベルにとっては、不運としか言いようのない時間が続くことになる。

しかしようやくアーベルの功績は正しく評価されるに至った。本書にはこう書かれている。

数学者たちにも、アーベルの業績の美しさや深さがしだいにわかりはじめた。そしてフランスの数学者シャルル・エルミートが述べたように「アーベルが数学に残してくれたもののおかげで、数学者たちはその後500年間、忙しく過ごすことになった」。パリのアカデミーは1830年に、亡きアーベルにグランプリを与えた。今日、数学者にとって最高の名誉のひとつとされているのはノルウェーのアカデミーが授与するアーベル賞で、2003年に始まったこの賞には600万クローネの賞金がついており、ほかの科学におけるノーベル賞と並ぶ誉れ高い賞となっている

数学史に燦然と輝く天才・ガロアの功績

アーベルは、新たな扉を開いたが、しかしまだまだ「シンメトリー」には遠い。

さてその後、アーベルの業績を発展させる形で、革命的な仕事を成し遂げたのが、天才数学者ガロアである。ガロアは、「20歳の時に決闘で命を落とした」というエピソードがあまりに有名だが、20歳という若さで亡くなったにも関わらず、その後の数学界を一変させるような業績を残した。

しかしアーベル同様、ガロアも様々な不運があり、生きている間にその業績が認められることはなかった。

彼の画期的な論文は、学位論文として発表されたのが、当時の教授がその真価を見抜けず、そればかりか「意味がない研究」と一蹴されてしまう。

ただし、この教授を責めることは酷かもしれない。何故ならガロアは、「それまで存在しなかった新たな分野をたった一人で作り上げた」からだ。存在しなかった分野だからこそ、「それまで誰も考えたことのない新たな概念を、既存の言葉だけで説明しなければならない」ということになる。たとえば江戸時代に、江戸時代に存在した言葉だけで「携帯電話」の構造を説明するのは不可能だろう。ガロアは、それと同じような状況に立たされていたというわけだ。評価できなかった教授が悪いのではなく、ガロアが天才過ぎたと言うべきだろう。

ガロアの業績が認められるようになったのは、友人シュヴァリエのお陰だ。ガロアは決闘の直前に自らの考えを書き記し、そのメモを彼に託したのだ。ガロアの死後、数学的素養を持っていたわけではないこのシュヴァリエが、友人の仕事を絶対に数学界に認めさせてやるんだと奮闘したお陰で、時間は掛かったがようやくガロアの研究の真価が認められることになった。

ガロアがシュヴァリエに残した文書には、自然界のもっとも基本的な概念のひとつであるシンメトリーに関するまったく新たな展望の種が含まれていた。今になってガロアのメモに目を通してみると、こんなに若い人間がここまでの洞察力を持っていたことに、ただただ目を見張るばかりだ。数学者たちはここ200年の間に、シンメトリーに関する理論において幾度となく飛躍的な前進を遂げてきたが、それもこれも元をたどれば、ガロアが書きなぐったメモに潜む奥深い発想が源なのだ。この若き革命家は、今わたしたちが毎日のように仕事で使っている数学の言語を、はじめて明確に表現した人物だったのである

では、ガロアは一体何をしたのだろうか?

これ以降は、ブログ「ルシルナ」でご覧いただけます

ここから先は

6,443字

¥ 100

この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?