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【課題】原子力発電の廃棄物はどこに捨てる?世界各国、全人類が直面する「核のゴミ」の現状:映画『地球で最も安全な場所を探して』

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原発の「核のゴミ」は、人類全体で解決しなければならない課題だ

「核のゴミ」の問題に取り組む人々が描かれる映画

この映画では、「核のゴミ」の問題に関わる世界中の人たちが描かれる。一部だが、日本も登場する。

映画を観て初めて知ったが、原子力発電所を持たない国さえ、この「核のゴミ」と無縁ではいられないようだ。本当に、真剣に考えなければならない問題である。

世界中どの国もまだ、最終処分地の選定は済んでいない。「中間貯蔵」という、一時的にここに貯蔵します、という場所はあるが(日本の場合も、青森県六ヶ所村がそれに当たる)、最終的にここに処分します、という場所は決まっていないということだ。映画のナレーションで、

家を建てる時には、トイレも必ず作る

と言っており、言い得て妙だと感じた。まさに人類は、トイレをどこに設置するか決めずに家を建て、現在に至るまでトイレを設置できずにいるのだ。

そのような状況に対して、様々な人間が対処しようと腰を上げており、この映画ではそういった人々の姿が描かれていく。

ただし、出てくる人たちの考え方は様々だ。映画の中で頻繁に取り上げられるチャールズ・マッコンビーという核物理学者は、

世界各国が脱原発を推し進めている現状を危惧している

と、原子力発電所が必要だという考えを繰り返し主張していた。彼の信念には様々な意見があるだろうが、同じく彼が言った、

今原発を止めても、廃棄物の処理問題はつきまとう

という考えには、誰もが賛同するはずだ。「核のゴミ」は、放射能を出さない安全な状態に達するのに数十万年掛かると言われている。そんな核廃棄物が既に世界中に数十万トン存在しているのだ。仮に今この瞬間に世界中の原発を止めたとしても、この数十万トンの核廃棄物はどうにかしなければならない。

原発に賛成か反対か、その考えには様々なグラデーションがあるが、出てくる人物は皆、それぞれの信念に基づいて、「核のゴミ」と対峙しようとしている。

かつてイギリスは、世界の「核のゴミ」の処理場だった

映画を観て初めて知って、最も驚いたのが、イギリスの話だ。

イギリスはかつて、世界中から核廃棄物を集めていた。確か私の記憶でも、日本の核廃棄物がイギリスで処理されていた時代があったように思う(詳しくは知らないし、この映画ではそこは描かれていない)。当時イギリスが採用していた仕組みは、原子力発電所を保有する国からすれば素晴らしいものだった。

自国の原子力発電所から出た使用済み核燃料をイギリスに送る。イギリスで処理され、プルトニウムだけは自国へと戻ってくる。しかし、核廃棄物はそのままイギリスに残る、という方式だったのだ。

これは恐らく、国ではなく一企業が行っていたことであり、企業としては、核廃棄物の問題は後で考えよう、とりあえず世界中から使用済み核燃料を集めて処分料をもらって稼ぎまくろう、というようなことだったのだと思う。

イギリスが核廃棄物を引き取ってくれるなら素晴らしい、ということで、スイスも原子力発電所を保有することに決めた。それはあくまでも、「未来永劫イギリスが核廃棄物を引き取ってくれること」とが前提の決定だった。

しかし1976年、突然状況が変わる。イギリス政府が上述のやり方を禁止する方針を打ち出したのだ。イギリスに使用済み核燃料の処分を頼っていた国は、自国での処理を余儀なくされる。スイスも同様であり、イギリスのその決定を受けてスイス政府は、前述したマッコンビーを招聘し、安全な処分場の選定を依頼する。

当初スイス政府は、「5年で処分場の建設地が決まらなければ原発の操業を停止する」としていた。しかし毎年のように基準が緩和され、現在に至るまで原発は操業され続けている。

映画ではそう言ってはいなかったが、イギリスが上述のようなやり方をしていなければ、もしかしたらスイスは原子力発電所に手を出していなかったかもしれない。

原発のないオーストラリアも巻き込まれてしまう

オーストラリアには原子力発電所が存在しないそうだが、しかしなぜか、「核のゴミ」の問題と無縁ではいられない。

そもそも核廃棄物の最終処分場には、「半径100km圏内での高低差が5m以内」、つまり非常に広い範囲で平らな土地が必要とされる。そして、その条件に適していると考えられたのがなんとオーストラリアだったのだ。

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